思いつきで文章の草稿や断片を書くための場所。

草稿帳430-418

430

 この世のものとは思えない安っぽい音のバイクが近づいてくる。この音を喫茶店店長渋沢義一は知っていた。バイクの持ち主は女は判らないという言葉以上に判らない女で、その安っぽい音のバイクはヒッチハイクに飽きた際に買い叩いたらしい。
 バイクの外見は音に反してハーレーに並ぶかというほどの豪胆さがある。ただ音と合わさって生まれる不協和音はただごとではなく、思わず見惚れる様な外観であるというのにエンジンをかけた瞬間その外観は鉄くずで飾り立てたベニヤ板を適当に貼り付けたのでなければ、悪質な詐欺にあっているに違いないということを確信させるほどだ。

 安っぽい音のバイクはこの世の終わりのような音を立てて喫茶店の傍で停車し、まもなくして喫茶店に客が現れる。
「コーヒーを頼む」
 一人の女だった。寝巻きなのか、寝巻きじゃないのかどちらとも言い難い服を着ていたが、髪の毛はぼさぼさである。
「はい」店長は笑顔で反応する。
「とびきり安っぽい入れ方をしてくれ。上品臭いのは合わん」
「無理です」店長は笑顔で答える。
「じゃあこっちが金を貰わなきゃ付き合いきれんコーヒーを」
「ありません」店長は笑顔で言う。
 女は鼻を鳴らしてカウンター席についた。女も別に何か期待しているわけではない。安っぽいコーヒーが好きなのは間違いなかったが、この喫茶店ではコーヒーはコーヒーであってそれ以上も以下もない。うまくもまずくもないくせに、店の雰囲気と他の品物のおかげで上品っぽく見えるここのコーヒーを女はあまり好きではない。人間の住まう地ではないと言われる自分の家ならばさぞかしうまいのだろうと女は思う。
「コーヒーです」
 いかにも上品そうなカップに注がれたコーヒーが女の前に置かれる。
「どうも」
 女はコーヒーを見たが手はつけずに本を取り出して読み始めた。文庫のようなかわいいものではない。古文書のようなボロさのハードカバーである。言語も日本語ではなく、装丁も古いながらに堅苦しくて面白そうな要素が微塵もない。
 店長はそれを見たが何も言わずに仕事を続ける。判らない事を判らないままにしておく。それが渋沢義一にとっての信条だった。日常的な部分では理解がなければやっていけないこともあるので判らない事があれば一度は聞く。だがその上で判りそうになければそのままにしておく。ちなみに、判りそうになくても判ろうとする奴は大概学者という生物になる。そして目の前に居る菊沢という生物は確か学者といった。彼は菊沢のようになれるとは思わなかったし、何度人生をやり直しても菊沢のようになりたいとは思わないだろう。
 彼が目の前の女の名前を知っているのは、たまに友人ときて名前を呼ばれているからであった。ちなみにコーヒーを安っぽく入れてくれという注文は今日で37回目である。

 菊沢は今、ガイアガガンガ族という既に居なくなったアジアのあまり有名でない種族の研究をしている。
 ガイアガガンガ族についての研究は芳しくない。それとなく触れていそうな文献をことごとく漁って発掘できたのは以下のたった二行だけだった。

 隠者は静かに暮らしたかった。
 光も音も、言葉すら届かぬ果てで静かに。

 しかもこの言葉を三世紀以上前に死んだ小説家も何度か使っていた。しかも引用という形で。菊沢はそこにこそ重要な答えがあると踏んでそれの参考文献を探したが、半分以上が既に存在しないものだった。

 実はガイアガガンガという言葉は地球の地表より内側、一般に地球の裏と呼ばれるような場所に住む種族の言葉で迷い人という意味であったのだが、地球の地表、或いは地球の表に住まうニルバサダンナである菊沢には到底判る事ではなかったし、判る資料もなかった。
 菊沢は難しそうな顔で首をひねっている。


429

 機械の帝国グラナンドはもとは滅んだ王国の一都市であった。奴隷階級であった地底人のクーデターによって王家が滅んだのをきっかけに独立。皇帝を立てて帝国となった。
 グラナンドは大陸でも類を見ないほど体に悪そうな国である。きっと精神にも悪い。概観はすす汚れているし、建築物も綺麗な状態のものが一つもないので旅行者には全く好まれない。訪れるのは民俗学者か物好きくらいである。物を売っている店は不自然なくらい強く合法で安全を謳っているが、合法の割には警吏がきたら驚嘆するほどの早さで店を閉じるし、安全の割には物が売れた数日後には店がなくなっている。
 食べ物に関してもひどいものだ。八割は何かに汚染されたとしか思えない味と色合いの食べ物で、二割はそもそも食べ物と思えない。一見普通で少しでも美味しそうだな、と思えるようなものがあればまず何か変なものが入っている。旅行者はここでは携帯食料以外を口にするべきではない。
 グラナンドの大きな特徴は軍備が異様に整っている事だ。どんな頭に花が咲いた平和主義者でも戦争するのかな、としか思えない。だがそれを指摘するものは居ないし、居たとしても二日後には行方不明になっている。
 実は殆ど誰も知らないが、グラナンド軍は一度本格的な侵攻を始めようとしたことがある。その際に極秘で開発していたヤバいくらい危険な大量殺戮兵器を持ち出そうとしたのだが、一人の何も知らない旅人が持参のなんだかよく判らない機械を組み立てるためにヤバいくらい危険な大量殺戮兵器から勝手に部品を持ち出したので大変な事になり、侵攻は延期になった。(ヤバいくらい危険な大量殺戮兵器はヤバいくらい危険であることを隠すためになんだかよく判らない外見だった)
 だがグラナンドは機械に関しての知識が進んでいるので、気の利いた義手や義足などを作れる事でも有名である。ただしグラナンド人の「気の利いた」は腕に砲弾を仕込ませたり義足に催涙ガス噴射装置を組み入れることだったりするので、あくまで注文どおりにやってもらいたい、と念を押さなければいけない。

「……で、ここが目的地か」男が呟いた。
「そうよ」隣の少女が答える。
 この二人組はグラナンドの人間ではなく、民俗学者でもない。つまり物好きの旅人であった。
「何しに来たんだ?」
「ロボットが欲しいな、と思って」
「へぇ」男はどうでもよさそうだった。「そうか」
 グラナンドにはろくなロボットが居ない事を男は知っている。グラナンドのような陰鬱な都市に居ればロボットだって陰鬱になるし、仮に明るくても即座に叩き壊される。とはいえ黙らせておけば優秀である事には変わりない。絶望の定義とグラナンドの歴史の話さえさせなければ、時折死人のような目で見てくるくらいで淡々と仕事をこなしてくれる。ただ絶望の定義とグラナンドの歴史の話しかしないロボットが旅の仲間に相応しいかと言えば、悩むところである。
「一緒に来る?」
「遠慮しとくよ。適当にぶらついてみる」
「そう。じゃあ、夜に宿で」
「ああ」
 そうして男と少女は別行動をとり始めた。男は自覚はなかったが、よく問題を起こす。以前グラナンドを訪れた際も己がこつこつ造っていたなんだかよく判らない機械を組み立てる為に、グラナンドにあった大きいなんだかよく判らない機械から勝手に部品を持ち出したために、グラナンド軍部がこっそりと大騒ぎになった。
 そして今回も夜になって宿に戻るまでの数時間に、男は二件の問題と三件の問題になりそうな事を抱えて帰ったのだが、男は一つとして気づいていなかった。
 ちなみに少女はロボットを見に行ったものの、絶望の定義を散々聞かされて物凄く重い足取りで帰ってきた。


428

 惑星エルデラでもっとも名誉ある賞はもっとも歌声が綺麗な者に送られる賞で、「歌声が綺麗で賞」だった。馴染み深くないとふざけた名前のように思えるが、エルデラの最高権力者である元老院長でさえもこれの受賞者には一目置くほどである。
 この「歌声が綺麗で賞」は今期で十七回目だが、そのうちの十五回は同じ人物が受賞している。その人物はマールロイド・レクショーネンと言った。一回目から八回目、十回目から十六回目までの賞を取っている。九回目の「歌声が綺麗で賞」はちょうどモグラ穴掘りレース最速決定戦と日が重なっていたので欠場した。マールロイドはモグラ穴掘りレースの熱狂的ファンだったのだ。これを受けてモグラ穴掘りレースは「歌声が綺麗で賞」とは開催日をずらさなければならないということが議会で決定された。
 十七回目の「歌声が綺麗で賞」も当然のようにマールロイド・レクショーネンの受賞が決定した。おそらく宇宙全土を探してもマールロイドほどの澄んだ歌声の持ち主はいないだろうというのがエルデラ人の自慢だった。マールロイドの歌声は実に澄んでいて、あまりに澄んでいるので誰も歌声が聴こえないほどである。
 エルデラ人が聴こえもしないマールロイドの歌声が澄んでいると思うのには二つの理由があった。一つはマールロイドが美人であるということであり、一つは地声が汚いということである。エルデラでもっとも名誉あるコンテストに出場するくらいなのだから、いくら地声がダク(エルデラの一般的家畜)が慌てて逃げ出すほどで、花も見る見る枯れてしまうほど汚いとしても歌声は意外なくらいに綺麗なのだろうという思い込みがエルデラ人にはあった。
 マールロイドが本当に歌っているのか実は口パクなのか判る者は一人しかいなかったが、その真実を知る者は今回も素敵な笑顔を振りまいて十七回目の「歌声が綺麗で賞」を受賞している。


427

 鬱蒼とした森の中に一人の男が仰向けで倒れている。ケッフェルという男で、何やらきらきらした物が一杯に詰まった布袋を後生大事に掴んでいる。
「7だ」
 突如倒れているケッフェルの傍に現れた男は言った。
「は?」
 ケッフェルは不機嫌そうなのを強調して答える。別に強調しなくてもケッフェルは不機嫌だった。なぜならたった今、金がなくなったので金品を掠め取りに忍び込んだ盗賊の根城から脱出したはいいが、予定とは違ってバレた上に足を踏み外して斜面を転げ落ちたばかりだったからである。まだ起き上がってすらいない。ケッフェルは答えてから、倒れっぱなしじゃ威厳がないなと思い全身が痛かったが我慢して立ち上がった。
「何の話だ?」
「お前にとって7は実に忌まわしい数字だ」
「ああそう」
 ケッフェルはどうでもよさそうに言った。実際どうでもよかったし、それより盗賊が追ってくることを心配していた。金庫から出てきたところをばっちり見つかったのだ。
「なにせ」男は言った。「お前は7回も記憶を消されるか改竄されるかしている」
「……誰だお前」
 ケッフェルは少しだけ男に興味を持ったようだった。男は何処にでも居る様な服装で、何処にでもいるような中年で、それなりに見栄えのする口ひげを生やしていた。見覚えはない。そう結論を下すとケッフェルは男から視線をはずす。
「私は昔お前に会っている」
「へえ?」ケッフェルは余裕ある笑みを浮かべて見せたが、斜面の上にある盗賊の根城が明らかに騒がしくなってきていたので気が気ではなかった。
「そりゃあ俺もいろんなとこに行くからな。すれ違う事もあるかもしれない。もしかして酒奢ってくれたりした奴か?」
「いや違う」
「そっか、じゃあどうでもいいや。もう行っていいか?」
 ケッフェルは見るからにそわそわしていた。そんなケッフェルを見て、男も上の騒ぎに気がついたようだった。
「行ってもいいが一刻も早く記憶を取り戻せ」
「おいおい、記憶を失くしたって記憶がないんだぜ。まあ精々努力するよ」
 ケッフェルは言うなり駆け出した。もたもたしすぎた。時計を見ると脱出間際に確認してから七分も経っている。
「おい、本当に……」
 ケッフェルの背後で男が何か言いかけるが、それはケッフェルを追ってきた盗賊の声にかき消される。
 盗賊(偶然にも追手は七人だった)はケッフェルと話していた男にはまるで気がついていない様子だった。男はケッフェルが見えなくなると、一歩も動かず空間に溶け込むようにして消えた。


426

「助かったぞ」
 耳がある位置より少し上から小さな角が生えている少女は言った。耳がある位置より少し上から小さな角が生えている少女は年のころ12、3くらいで和服を身につけ、静という名前を持っている。
「うん」ヒロトは答えた。まだ追いかけてくる人間が居ないか警戒している。
「だが何故助けた?」
「何でって……うーん」
 ヒロトは警戒するのに精一杯であまりその問いを考える事に思考を割いていなかった。だが静が返答を待っているのに気づくと真面目に考え始める。
「ほら、昔遊んだじゃん」ヒロトは答えた。
 理由としてはこれで十分だろうとヒロトは思う。昔、引っ越してきたばかりで誰も友達が居らず、暇つぶしに山へ入り込んでうろついていると、今とほとんど代わらぬ姿の静と出会って少し遊んだ後に送り返してもらったのだ。よく考えると、いやよく考えなくても別に大したことをして遊んだわけではないのだが、それでもヒロトは静が思っている以上に嬉しい記憶としてその思い出を大事に抱えていた。
「そうか」
 静はそれが危険を冒してまで助ける理由としては不十分であると思っていたが、譲歩した。
「これからどうしようか」
「別れよう。私は同胞をたずねてみようと思う。あまり期待できるものでもないが」
「もう会えないのかな」ヒロトはそっけなく言ったが名残惜しさが滲み出ていた。
「また会ったところで今日みたいな事になるだけだ」静は突き放すように言う。
「そうかな……」ヒロトは寂しそうに呟いた。
「……なら私はいずれ戻ってこよう。お前の元に」
「本当に? 約束だよ」
「ああ」
 と、静は答えてそれきり黙っていて、ヒロトはこれから静が逃げるための経路を考えつつ警戒していたので、静が何をしているかということには全く気がつかなかった。だが突如聞こえた妙に生々しい音に驚いて振り向く。
「何をして……っ!?」ヒロトは言葉を呑んだ。
 静は己の片目を抉り出していた。尖った爪のある白く綺麗な手で抉り出した眼球を持っている。顔、首、着物と血だらけになっていた。猫のような細い瞳孔を持つ目が静の顔と手にある。
「約束の徴だ。受け取れ」
 ヒロトは顔を引きつらせて無言で首を横に振る。静は痛がっている様子もなく、平気そうな顔をしていた。ヒロトは痛くないのだろうかとか何をしているのかとか考えたが、急に蔓延した血の匂いが一層恐怖を煽り立てた。
 静はヒロトが黙って受け取ると思っていたので不思議そうな顔をする。
「そ、その目をどうしろって言うのさ!」ヒロトは声を潜ませながら叫ぶ。
「お前たちはよく物をなくすからな。なくされると困る。食え」
 ヒロトは絶句した。
「お前が食う事によって私の一部はお前のものとなり、私はそれを頼りにお前を見つけることができる」
 静の言葉にヒロトは納得する。だが仮に自分の目を静に与えたところで静の居場所がわかるとは思えない。ヒロトは恐る恐る静の眼球を受け取った。
 凄惨な状態になった静が一心にヒロトを見ている。
「な、なくさないからさ……」
 どうしても食べたくないヒロトは弱気に言う。静は今までの仮面を崩して少ししょんぼりしたような表情を見せた。
「なら食わなくてもいい」
 そんなに食べて欲しかったのかとヒロトは恐る恐るといった態で、摘んでいる静の眼球を見る。少し弾力のある感触が実に生々しい。
 だがこれで静とまた会えるというのなら、大事に持っておこうとヒロトは思った。何重にも封をして、間違っても目に触れないよう引き出しの奥にでも押し込んでおこうと真面目に考えている。
 静はそんなヒロトを少しだけ微笑ましそうに片目で見ていた。


425

 人食い島、と言うのは誰がどういった理由に基づいてつけたのかは定かでない。
 だが太古の地図の時点で既にそう記されている。故に人食い島に住まう者どもは人間たちから非常に恐れられ、決して近づいてはならぬ島とされていた。
 彼らも人の住まう大陸に寄り付くことはなかったが、人が知る限りでは一度だけ姿を見せている。
 ただその目的は島が冠する名の通り食料を探しに来たのではなく、人が住み着くより前に居た先住種族に対する警句のようなものであった。
 人食い島に住まう者を見た男が覚えている限りで、一番初めに言った言葉で一番強く残っている言葉がこれだった。
「種族の誇りを忘れたか、ユーウォーキー?」
 場所は、ユーウォーキーの里である岩山の山腹から少し離れた麓であった。ユーウォーキーは数百程度が集まって高所に暮らす翼を持った知的種族のことである。有翼人種と呼んでも良い。体力は若干人に劣り、その翼も滑空のために使われることが主で、羽ばたくことにはあまり使われない。そしてある一人のユーウォーキーが人と恋に落ち、集落から少し離れたところで共に暮らしていたのだ。人食い島に住まう者は、そこに現れた。
「いきなり現れたと思えば何を言うんじゃ」
 若い女のユーウォーキーは人食い島に住まう者を恐れるでもなく返す。
「知り合いなのか」と、男が声を潜めて彼女に問うと、
「いや。全く知らんがろくな奴じゃなかろ」
 若きユーウォーキーはあっけらかんと答えた。
 若きユーウォーキーの名はイェルテと言った。人の子である男の名はシャーロ。人食い島に住まう者はみな名を持たぬらしい。
「判らぬから聞きに来た。誇り高き種族のユーウォーキーが何故人間と番うのだ?」
 イェルテはそれを聞くと過剰なくらいに表情を歪めた。
「誇り高き? 今アンタはそう言ったのか?」そして自分の耳を疑うとばかりの仕草をした後、
「それはわしらが決めることであって、見ず知らずのアンタに言われることじゃあない。そりゃあわしらは誇り高いとも。だがそれは別に血統によるもんじゃない」
「寿命が五十年程度の人間と、寿命が四十年程度のユーウォーキーなら釣り合うとでも思ったのか」
 シャーロが見た限り、人食い島に住まう者は既にイェルテを責めるでもなく、ただ純粋な好奇心から聞いているように見えた。
「釣り合う? そんな事貴様に言われとうないわっ!」
 だが既に怒りを覚えているイェルテにとって、人食い島に住まう者の言葉は挑発の類にしか聞こえぬらしい。シャーロは自分が応対すべきか、と考えた。
「お互いに」シャーロが口を挟むと、イェルテにとっても人食い島に住まう者にとっても一様に黙り、シャーロを見た。
「心があって、意思疎通ができた。この前提がある以上ありうる事だと思います」
「黙れ人間」
「はい」
 人食い島に住まう者はシャーロが喋るのが気に入らないらしく、威嚇するように言った。シャーロは怖かったので素直に黙る。だが、それがイェルテを一層刺激したようだった。
「貴様とは話しても無駄なようじゃ。疾く帰れ」
 人食い島に住まう者はイェルテが何故そんなにも怒るのか理解できない様子だったが、イェルテの目を見てこれ以上話は聞けないと踏んだらしく、踵を返す。
「せいぜいうまくやるんだな」
「言われずともやる」
 イェルテはその言葉通りにならないわけがないと信じきっている表情で言った。
 人食い島に住まう者は数歩歩くと血の様に紅く、薄っぺらい翼を出してそのまま飛び去った。
「ふぅ……」
 シャーロが気が抜けたとばかりにため息をつく。
「大丈夫か?」
「うん。別に何もされなかったからね。それより君のことだから蹴って追い返しやしないかとヒヤヒヤしてた」
 シャーロが冗談交じりに言うと、イェルテはむっとしたように少し頬を膨らませてこらえる。
「わしも女の子じゃけぇ、そんくらいの分別はある」
 シャーロにはイェルテがそんな事を言うなんて少し意外だった。実際何度も相手を蹴って追い返すところを目の当たりにしていたからである。
 イェルテはいじけたように足元を蹴り、シャーロの顔を覗き見る。
「おかしいか?」
「い、いや、そんなまさか」
 シャーロは乾いた愛想笑いを浮かべながら答えるが、イェルテはさすがにそのとってつけたような答えで本心がわかったらしく、ますますむくれたような顔つきになる。
「お前はヤな奴だ」
「ごめんよ」
 シャーロは謝りながらイェルテの羽を梳く。
「ふん」
 イェルテは口調こそ怒っているものの、嬉しそうなニヤつきを隠し切れておらず、自分の手で口元を隠していた。

 人食い島に住まう者はこの一度だけ姿を見せたが、以降は人の前に現れることなく、またシャーロの話が伝播して誇張解釈されていくうちに人食い島に住まう者は人間を見るなり襲い掛かるという恐怖の対象となって語り継がれていったのだった。


424

 どこの酔狂モンが作ったのかは知らねぇが、ハートチケットちうもんがある。
 チケットつっても紙じゃねえ。鉄でできたハートを半分に割った、小物みたいなもんだ。
 一組の男女がそれを持っていて、それが一つになった時には奇跡が起こる……とか言うのが名目で、実際のところはハートチケットを合わせれば死に掛けている誰かに生命力を流し込むことができるという反則的な代物だ。ただしあんまり知られちゃいないが、代償としてハートチケットを持たない方が流し込まれる生命力のカタになる。
 そして俺みたいな魂を扱う輩に一番納得いかないのが、互いにハートチケットを持って組み合わせれば死人は出ず、しかも二人は安全な終生を迎えることが出来るらしい。まったくふざけた冗談もあったものだと思う。
 俺は今、一組のハートチケットの行方を監視している。
 病気の姉を助けたい一心で方法を模索していますという、涙ぐましい努力をする妹に舞い降りた悪……いや、天使ってわけだ。
 そして貧乏くじを引いた男の方だが、正直な話俺はなんとかこいつを幸せにしてやりたい。本当はこんなひいきは駄目だし、俺もここまで一方的なひいきなんて滅多にするもんじゃないんだが……。俺は昔から仕事感情より自分の意思を優先するタイプだったもんで、色々怒られていたがその度に世話になった男がこの度めでたく生まれ変わり、ハートチケットを持つ片割れとしてよりによって俺の前に現れたのだ。昔からこの件では散々怒られたが、今回も俺は自分の意思を介入させてしまうというわけだ。
「ちょっと」
 ハートチケットの片割れを持つ女が俺を呼んだ。名前は聞いたが、覚えてない。俺がハートチケットのことを話すとすぐさま男の方へ行ったが、戻ってきたらしい。
「貰ってきたけど」
 と、その女がまるで軽いおつかいにでも行ってきたかのような調子でハートチケットを持っていたから、俺は思わず首をかしげた。
「ありゃ? ……まさか奪ってきたとか盗んできたとかじゃないだろうな?」
「オトメを何だと思ってるのよ。ちゃんと事情を説明して貰ってきたわ」
「そうかい。そいつぁ悪かったな」
 ということは、あの男は本当に生を放棄したと言うことだ。
 あの男は俺の上司だった時、確固たる意思をもったなかなか格好いいじじいだったんだが、どうも人間になってから無気力化しちまったらしい。何もかもどうでもよさそうで、見てるこっちがケツを蹴ってやりたいくらいだった。
 残念だね。俺は非常に腹立たしい。悪魔とも死神とも呼ばれる職の俺が言う事じゃないが、あの男は馬鹿だ。
 ……しかしこの女が奴さんからハートチケットを得てきたことには相違ない。
 できる限り男の方を幸せにしたかったが、生きる意志がないんじゃ手助けのしようがない。あの男の魂を持って帰るなんてことは出来れば俺はやりたくなかったんだけどなぁ。
「でもこんなもので本当にお姉ちゃんが助かるの……?」
 女はちっぽけなシルバーアクセサリーのようなハートチケットを見て首を傾げる。
「オーケーオーケー。あんたの姉さんはこれで助かるよおめでとう。じゃあ奴さんの死に乾杯、と」
 俺が早速チケットを組み合わせてもらおうとすると、女はハートチケットを後ろ手に持って隠し、戸惑ったように声をあげた。
「ちょ、ちょっと待ってよ!」
「あん? なんだよ」
「死って……どういうこと?」
「だからそう言う事だよ。あんたの姉さんの元気の代わりに奴さんが死ぬ。それだけ」
「そ、そんなこと聞いてないわ!」
「あー? そうだっけ? でもまぁ奴さんは知ってるだろうから別に構わないんじゃないの」
「で、でもさ、それって……私が殺したようなもんじゃない!」
「そりゃそうだ。でもまぁ、バレやしねぇよ」
 大して親しくもない奴が死んだところで何も困ることはないだろうに、女はひどく動揺したようだった。唖然としている女に俺はやさぁしく後押しをしてやる。
「あんたの姉さんもそこそこヤバいんだろ? 変に偽善ぶってないでさっさと合わせちまえよ。簡単だろ?」
「……なんで?」
「ん?」
「何でアイツは自分が死ぬって知っててこれを私にくれたのよ?」
「知らねぇよ」
 むしろ俺が知りたい。でも多分、俺が聞いたらぶん殴らずにはいられないだろうから、知らなくていい。
 女は手に持った一組のハートチケットを見て唸り、踵を返した。
「なんだ、突き返すのか?」
「……納得がいかない」
 女はそれだけ答えて走り去った。
「ふぅん」
 俺は女を見送って、少し嬉しくなった。どうやらまだチャンスは完全に失われたわけじゃないらしい。
 頼むから、多少は足掻いてくれよと届かぬ声で思う。
「…………」
 男がかつて使っていた名前を俺は呟いた。
 とにかく問題が絶えなかった俺だが、今もこうしてこの仕事を続けているのはあの男が上司だったからに他ならない。沢山怒られたし、殴られた。だが同じくらい褒められたし、感謝された。じじいも己が出来ない、言わば人道的でも言うべき行動を俺に期待していたのだ。だからこそじじいはずっと俺を庇ってきた。多分。
 ……ああ、どうやら本当にあの男に対してだけは感傷的になりすぎる、と俺は自分をあざ笑いながら思った。


423

 器物猫、というのが居る。別段置物であるとか猫として見なされず虐待されているとかそういった話ではない。
 一般に、機械の心臓を持った猫のことを指している。誰が作ったのかは知らないが、機械の心臓を首からぶら下げていたり首輪についていたりと一目でわかる。心臓と言っても人目にはそれとは判らないだろう。ひし形のクリスタルにそれを保護するような装飾がついたものだ。
 そのクリスタルは猫にとって第二の心臓であり、人にとってルールの保管する入れ物となっている。
 誰かが定めたルールは、その人の元を訪うナビゲータが持つクリスタルに記録される。もしそのルールを破りたければ制定者が居なくなるのを待つか、制定者を抹消するか、クリスタルを破壊すれば良い。しかしナビゲータは大概独自の防衛術を身につけているため、無策にクリスタル破壊を挑むのは賢い選択ではない。
 となると待つことが耐えられない場合、制定者を抹消することが一番の近道なのだが、そこで脅威となるのがどんな非力なものでも超人足りえる「ルール」なのだ。
 新しく一人の男がその世界へと招かれた。
 男は始まりの部屋と呼ばれる白い家から外に出ると、まず辺りを見渡す。
 一面草原の中心にその家があり、前後左右に砂利道が伸びていてその先に街があるのが見える。ただ、街? と疑問符をつけたくなるようなものもあった。二つは街だと言えるが、一つは街と呼ぶにはあまりにも原始的過ぎ、一つは幾何学的過ぎる建造物が遠目に見えて男が理解できるレベルを超えていた。
 男は自然一番見慣れている建物が並ぶ街に足を運ぼうとする。
「ぎにゃあっ」
 と、突如なんとも言えない悲鳴をあげて男の頭の上に猫が振ってきた。
「うわっ!?」
 男は驚いて頭の上に落ちてきた何かを慌てて振り払う。
 猫は振り払われても地面に落ちる前に体勢を直して華麗に着地した。
 男は一度空を見上げて何もないことを確認し、改めて猫を見る。首輪にクリスタルがついている器物猫であったが、男はそんなことは知らず一体どこから落ちてきたのかという疑問の答えを探るかのように何度も空を中心に辺りを見渡していた。
 猫も猫で戸惑ったように男を見つめ、辺りを見渡す。その間も警戒しているのか尾が伸びきっていた。
「なるほどです」
 猫は男のすぐ側にある草原の中心にある白い家を見つけると合点がいったとばかりに声をあげた。
「いい!?」
 男は猫が喋ったことに驚いて距離をとろうとする。
「あ、あー、ちょっと待って欲しいですのね」
「うわわ……」
「私がナビゲータですのね」
「ナ、ナビゲータ」
 男はその言葉を反芻し、その意味することが判って来ると逃げようとするのをやめる。そして多少なり落ち着くと今度は猫を観察し始める。猫は首輪にクリスタルが付いているほかはそこらに居る猫と変わったところがない。
「私もまさか仕事の際に呼び出されるとは聞かされていたけど、こんな呼ばれ方をするとは思ってもみなかったですのね」
「な、なぁ、一つ聞いてもいいだろうか」
「はいですの」
 男が恐る恐ると言った態で問うと、猫は状況を受け入れてもらえたことが嬉しかったのか弾んだ声で返事をする。
「その……鬱陶しい語尾はなんとかならないのか?」
「ははは、初対面なのにそんな殺意の沸く表現で質問されたのは初めてですにゃあ。これはルールで決められてますのね。ヒト以外はルールの適用から大きく外れて自由な部分が多い代わりに、こういうしょうもないルールがあるんですの」
「そうなのか。なら仕方ないか……。で、聞きたい事はたくさんあるんだが、とりあえず俺はこれからどうすればいいんだ?」
「アナタは当選者ですので、住居が割り振られてますの。まずはそこに向かいますのね」
「出来るなら帰りたいんだけど」
「無理ですにゃ」
 だろうなぁ、と男は呟きながらとぼとぼと歩き出す。
「まぁまぁ、幸い時代も一致してますし、慣れれば中々楽しいですのね」
 猫は励ますように言うが、男がうんと頷くにはまだ少し不安要素が大きすぎた。
 猫は男のそんな内心を察したのかさらに言葉を重ねる。
「あまり心配しなくてもいいですの。死ぬことはないですのね」
 男は最初に仮面をつけた人間に聞いたルール制定者の抹消云々の事柄を覚えていたので、猫の言葉が気休め程度にしか思えない。猫の語尾も相変わらず鬱陶しかった。
「まだルールとか言うのを作ってないからだろ?」
「ん! それは間違いですにゃ。空のクリスタルはルールの入れ物ですので壊すよりは空のものを手に入れるほうが望ましいですのね。判りやすく言うと、空のクリスタルによって己で制定できるルールを増やせますのね」
「それじゃあ……」
 男は言いかけて猫を見る。自分は無事でもお前が危険な状態なのか、と。口には出さなかったが目でそれを言う。猫は不思議そうに男を見返し、すぐに合点がいったようで誇らしげにヒゲを振るわせた。
「心配されなくても私はやられませんのね」
 男が疑わしげに納得すると、猫は「それに」と付け加える。
「アナタがルールを制定しても私が守るので心配いりませんのね」
 その言葉に根拠があろうともなかろうとも、男はちょっとグッときた。
「……ありがとうよ」
 男が擦れる程度の声で言うと、猫は人語ではなく己の言葉で一鳴きすることで答えた。


422

 物事には、ルールが必要だ。
 特にゲームなどでは明文化されていなくとも、参加者が暗黙のうちに遵守すべきルールがある。それを破ればゲームが成立しなくなる危険すら沸いてくるからだ。
 男は上記の「ルールの必要性」を叩き込まれた上で、白い部屋で椅子に座っていた。十畳ほどの広さで、窓が一つ、扉が一つ。中央に男が座っている椅子がある他は物の類は見当たらない。
 男は気が付いた時にはそこに居た。前後の記憶が曖昧になっているようで、その前は何かしていたような気がするが思い出せない。男が場所を確認しようと立ち上がると壁の一面が歪み、奇妙な仮面を被った誰かが映し出された。どうやらその面の壁はモニターになっているらしい。仮面をつけた誰かは顔のドアップで、変声機を使っているため性別の判断さえ付かない。
『ようこそ。君は幸か不幸か参加資格を引き当てたらしい。少なくとも二週間から一ヶ月の間はこの世界で過ごしてもらわなければならない。外の世界はまだ新しく、肝心な部分以外はルールらしいルールがない。まず教えることは二つ。超能的な力が叶うこと、今居る部屋には危害を加えることは禁止されていることだ。
 そしてここからが本題だが君は外で一つだけルールを作っていい。その内容は何でもいい。判りやすく言うと、願い事だな。大金でも常人をしのぐ特別な力でもいいし、誰も自分を傷つけてはならないなどの防衛的なものでも結構。しかしそれはルールとしての形を取る必要がある。大金なら「自分が対価として差し出すものは通貨として機能する」。能力であれば効力や発動場所といった制限を決め、防衛的なものなら私が先に言った様に指定場所を不可侵にするなどだ。
 その場合は君が現実に戻る際に効力を失う。ただ、社会全体に影響を及ぼすルールならばそれは残されるだろう。だが気をつけたまえ。それがあまりにも偏りのあるものだと君を抹消することによって『制定者死亡によるルール解除』を試みる輩が出てこないとも限らない。
 こちらから話すことは以上だ。では君という人間の痕跡を刻んできてくれたまえ!』
 仮面の人物は一方的に話して勝手に話を打ち切った。しかし男も聞きたいことが山ほどあった。場所、参加資格というものについて、拒否権の有無、ルールやこの状況についても聞きたいことがある。
 男はいきり立って仮面の人物に向けて何か言おうとしたが、先に仮面の人物が口を開いた。
『……そうそう、聞いてなかったり疑問がある場合は後にナビゲータをやるのでそれに聞いてくれ』
 と、それを言い終わると今度こそ本当にモニターはただの白い壁に戻ってしまった。
 男は壁に向かって声をあらげて悪態をつくが、再び壁が切り替わることはなかった。


421

 五文字の高次元生命がふと休息に立ち寄った惑星にて、その惑星に命が育ち始めていることを発見した。高次元生命は新たなる未知の命の芽生えを心から喜び、調査を目的として、また彼らに有意義であるようにと去る前に置き土産を残した。
「願いを、叶えよう!」
 それが始まりの言葉だった。
 その星に残された、不思議な箱。三十センチ四方の箱で各面に五センチほどの厚みがあり、真ん中にくり抜いたかのように大きく口を開けている一面がある。滑らかな手触りながらも何物をも受け付けないような頑強さを持っている。箱の中を覗いて見ると両脇と上下の面の中心に小さな黒円があるだけだ。そしてその箱は「会話」する。上面と思しき部分に赤いラインで描かれた円があり、そこから奇妙な生物のホログラムが起こり、上の台詞を吐くのだ。そのホログラムは少なくとも箱がある星の生物を模した物ではない。落書きのような顔と手をとりつけた白い涙形を逆さにして、緑のシルクハットを乗せたようなふざけた形をしていた。
 知的生命が数えた暦で言う八百年頃その箱は発見され、歴史は加速した。その箱こそが神のように扱われ、その箱を所有する家こそが全世界の統治者であるように扱われた。ただ、箱には制約があった。叶えてくれる願いは一人一つ。一生に一度のお願いである。そして願いはその箱の大きさを超えるものであってはならない。例え人様に誇れるような駿馬が欲しいと願ってもホログラムの生物が全身を使って駄目だと言うからだ。
 概念的なものならばそれなりに叶えてくれるが、許容ラインが存在するらしい。過去の例を引いてみよう。ある家庭の妻が遺産目的で「夫を死なせて欲しい」と願ったらそれは叶った。しかし、ある奴隷階級の男が支配階級にある者どもを皆殺しにするよう願っても、それは容れられなかった。もっと概念的な例だと、不老不死を望んだ資産家の女性は不老は叶えられたが不死は叶えられず、人より二百年ばかり長生きして死んだ。またある軍人は世界征服を願ったがその望みは拒絶された。
 箱の歴史は発見から三百と二十年ほどで終わった。ある男は己を装飾する力を願った。男の望みは叶えられ、力を得た男は今まであらゆる攻撃をも受け付けなかった箱を破壊して、逃亡した。箱を壊した男は世界から憎まれ追われる立場となって今現在も逃げ続けている。


420

「ばかっ」
 帰ってきたミユはぼくの顔を見るなりまずそう言ってぼくのあたまを軽く叩いた。
「……!?」
 当然のことながら、ぼくは何が何だか判らない。久しぶりに見たミユの姿にかんどうしていたのもあるだろう。
 ああ、だが今にして思えばあの時の彼女がその行動に出た理由もよくわかる。
 確かに彼女にしてみれば、ぼくほどどん感で馬鹿で世話のやける弟分もいなかったであろうから。

 天田美由は神隠しにあった。
 昔の話とはいえ、仮にも現代においてはその言葉が非現実極まることであったのは僕も承知している。だが本人があの澄ました顔でそうだと言うのだからしょうがなかった。大人が誰一人信じないのだ、せめて僕くらいは信用するとしよう、とそう思ったのだ。それに何故か僕が少しでも疑いの声をあげると彼女は僕にだけは怒りを見せた。だが判りやすい怒り方ではなく……そう、言うならば拗ねたとでも言うべき怒り方だ。
 その期間は長いのか短いのか、一月という期間であった。まだ小学生という幼さだった僕からすれば美由が消えた一月は永遠に等しい長さだった。大げさであることは判っているが、当時の僕にしてみれば一日が全てであり、「明日」は「今日」の後に続くものではなく、切り離されて独立した未来だったのだ。
 美由は、僕にとってただの幼馴染と言うにはその存在は大きすぎた。中学、高校と勉強だけはそこそこできた僕は、勉強だけはどうにもできなかった美由に勉強を教えていたが、その他のことは美由に尻を蹴られっぱなしであった。
 こんな僕だったから、大学受験で美由は滑り止めまで全部落ちて、僕が第一志望の所に通った時も他人事のようにああ、僕は駄目になるんだろうなと予測できた。結構離れたところで一人暮らしというのも堪えていたのかもしれない。
 実際大学に入って半年と少しほど経ち、冬に突入しようかと言う頃に早速僕は駄目になっていた。学校には行くが授業には出ず、図書館や学生食堂で日が暮れるまで時間を潰すことが多くなっていたのだ。それでも単位のために頃合を見計らって欠席で単位を落とさない程度には出席していた。皮肉なことに、それでも授業にはついていけていた。どうやら僕はその辺りの要領がいいらしい。
 大学が冬季休講に入ると僕は何日かに一度食料を買えるだけ買い込んでは家に篭もり、呆けたり眠り続けたりと無為な日々を過ごしていた。
 そしてそんな時である。一人の来訪者があった。
 僕はいつも通り居留守をするつもりでいたが、ドアノブを捻って無理やり入ってこようとしたり、ドアをドンドン叩き鳴らしたりとその日の来訪者は随分荒っぽかった。碌なものじゃない、と思って僕は別に眠る気もなかったがベッドに潜り込んでやり過ごそうとした。
「こら! ゆうさく君! 開けなさい!」
「!?」
 聞き覚えのある声が絶対的な強制力を持って僕を呼んだ。僕はその声が誰であったか、などと考える間もなく飛び起きてドアに駆け寄っていた。反射神経に強く刻み込まれている声が、躊躇うことを許さなかったのだ。
 いざドアを開けてみれば、そこに居たのは知らない……いや、知ってはいるが今の僕と会うはずがない小さな女の子だった。
「美、由……?」
 美由は力強く頷いた。ただ僕と同じ年齢であるはずの美由は、昔の姿だった。
 幼い美由は何故か口を尖らせて、いつもの怒っているんだぞと言わんばかりの表情で僕を見たあと、口を開いた。
「ここ、ゆうさく君のおうち?」
「そ、そうだけど」
「じゃあちょっとどいて」
 美由は怒った表情を崩さずに、僕を押しのけて部屋に上がりこむ。
 美由は仁王立ちで部屋の中を一望すると大きなため息をつく。
「けっこうきれいね……うん、まあ二じゅう丸くらいはあげてもいいかな」
「ありがとう。……でも、美由、何故君がここに?」
 僕の真っ当な質問に、美由はまたもむっとしたようで僕を睨んだ。
「こっちがききたいわよ! ちょぉーーっと親切心をだせばすぐこういうへんなことになるんだからまったく……」
 一体何があったのかと僕は十年前の美由を刺激しないよう、恐る恐る尋ねてみるとその概要はおおよそ「道端で蹲っている人を見つけて声をかけたら「代わりに使いに行って欲しい」と言われ、渋々承諾したところ結果としてここに付いた」ということらしい。
 美由がその人に渡されたというメモを見ると、ノートの切れ端に僕のこの家の住所と名前が記されている。手書きだったが字は見覚えのないものだ。
 美由は歩いてきたと言うが、実家からほいほい歩いてこれる距離ではない。だが美由はその辺り特に疑問に思わなかったらしい。
 本当の美由はどこに行ったのか確認する必要があるし、美由を帰してやらなきゃならない。多分一月以内で僕は方法を見つけるのだろう。ただ問題は、その間美由をどうするかだ。どうも堕落した大学生が小学生の女児と居るとなると穏やかな想像をしてくれる人は殆ど居ないだろう。
 だがそれ以上に、美由を突き放すわけにはいかなかった。多少辛い思いをしたとしても、僕は美由を守らなければいけない。
「なぁ、美由」
「何?」
 美由は僕も小学生の頃一緒に居た時と全く変わらず、我が物顔で傍らに漫画を積んで読んでいた。
「なんで美由がここに来たのかは正直よく判らないけど、やっぱり帰らなきゃいけないと思うんだ。美由と同じ年齢の僕が居る場所に」
「うん」
「だから、悪いんだけどそれまではここに居て欲しいんだ」
 美由はそこで僕をまっすぐに見つめてきた。
「……どうしてもというならなんとかするよ。僕が外に居ればいいだけだし、」
「いいよ」
「最近は外で過ごしても家より快適なくら……え?」
 美由はまったく、と呟くと漫画を置いて立ち上がり、僕に指を向けた。
「ゆうさく君! 大きくなって少しはかっこうよくなったかと思えば外見ばかりでぜんぜんだし、あいかわらず言うことが弱っちいし、君は何を学んだの! 女の子で、しかもおさななじみの子が困ってたらオレにまかせろ! くらいのことは言うのっ!!」
「ははは……。君は変わらないな」
「こっちのセリフよ!」
 それから美由は世話が焼けるだのいつまでたってもだの文句を垂れながら漫画を読んでいたが、暫くすると規則正しい呼吸が聞こえてきた。眠ってしまっている。何だかんだで疲れていたのだろうか。
 僕は美由に布団をかけてやり、眠る美由の顔を見て思う。今、本来の美由はどうしているのだろう。元気でやっているのだろうか。入れ替わりで居なくなってたりするのだろうか。
「……電話してみよう」
 決意が逃げないように、言葉にして携帯電話を手に取る。最後に手に取ったのはいつだったか、充電がきれているようで充電器を刺して起動し、電話帳を探す。思えば美由と話すのも随分と久しぶりだ。美由は何か変わっているだろうか。忙しい時期だろうし迷惑がるかもしれない。
 それでも、やっぱりやめたと携帯電話を置くことは出来なかった。僕は旧知の相手にかけるというのに酷い緊張と不安、そして幾ばくかの期待を込めて通話ボタンを押した。


419

「……おい、この機械は何だ」
「私もこの人外の気を発する方がどなたなのか伺いたく存じます」
 その様は滑稽ですらあった。前時代の象徴的なシャーマンであるアンコントルと、新時代の象徴と呼べるロボットであるアヴェルス。その一人と一体が怪訝な顔をして互いを見ているのだ。だが無理もないかもしれない。一人はこの辺りにはいない赤褐色の肌で、さらにもっといないだろうと思われる全身の模様。一体は顔こそ女性のものではあるものの、ところどころはまだ機械がむき出しのままだ。
 その一人と一体は当然のように彼に説明を求める。
 アンコントルにはアヴェルスのことを自分が開発に携わったロボットだと、アヴェルスにはアンコントルを自分の兄妹のような存在だと彼は説明した。
 アヴェルスは無表情のまま「そうですか」と呟くと、ちゃんと皮膚まである方の右手を差し出す。
「握手を……おっと」
 アヴェルスはわざとらしく言うと、出していた手を引っ込めて機械がむき出しになっている左手を差し出した。アンコントルは意図が判らないという風にアヴェルスの顔を見る。
「お父様の、妹分だそうで」
 アヴェルスが殊更に「お父様」というのを強調して言うと、アンコントルも意図が判ったのか薄ら笑いを浮かべて頷いた。
「まぁ、その通りだ。否定はしない。君は美しき兄妹の間に割り込んできた娘というところか」
「そうですね」
 アンコントルとアヴェルスは無表情に近い状態でにらみ合いながら、握手を交わす。
 彼は困ったように指先で頭を抑えた。出自と人種のせいで友達と呼べるような者が居なかったアンコントルのために、忙しい自分に代わる話相手を連れてきたつもりだったが、見事に険悪な雰囲気になっている。そしてその原因というのが自分だというのは喜ぶべきなのか、と彼は泣きたい気持ちで思う。
 アンコントルはその性格上、もし相手が気に食わなくてもそれが余り表に出ない。元の性格からしてぶっきらぼうなのでもしそう思っていても判らないだけなのだが。アンコントルは自分がおそらく最後の一人であるだろうことを知っている。自分が死ねば永遠に同じ人種が世に出ることはないのだ。それゆえかアンコントルを世話して、衣食住の面倒を見る彼にそれ以上の手間をかけさせることを非常に避けており、彼は彼でアンコントルはストレスなどを溜め込む性格なのだと見て何かと気にかける、という皮肉のような図式が出来上がっている。
 アヴェルスはまだ生まれて間もない。正式起動はつい数時間前のことなのだ。故に知識を実体験として経験している中で、その中でも最重要人物である彼に付き従ってみれば、そこには知識にすらない違う人種の娘が大きな顔で居るのだ。しかも彼にとっての大切な人物ということで。
 感情制御は従来より抑えられているので、感情のゆらぎは大きなものとなる。彼はアヴェルスを驚かそうという子供じみた心から黙っていたのだが、アヴェルスがそういう考えに到るには少しばかり経験が足りなかった。深慮の前に出てきたのはより単純な感情である淡い嫉妬。彼の間違いを指摘するならば、アヴェルスはあらゆる点でまだ子供だと言うことを理解していなかったことだ。感情制御を抑えるということは、負の感情など簡単に転がり出るということなのだ。
 愚かにもこれを目の当たりにしてなお理解しない彼は、ただアヴェルスとアンコントルに暫く同じ家で暮らさなければならないのだ、ということをどう切り出そうかひたすら悩んでいるのだった。


418

 広い荒野に戦争の傷跡が延々と残っている。ちょうど機械兵大隊同士がぶつかった場所らしく、巨大な鉄くず廃棄場と言うべき様相を呈していた。
 機械兵の残骸の中から、一機の左足がひん曲がった兵の目が赤く点滅している。とはいえ、片目だけである。左目には石片が突き刺さり、目を破壊していた。
 その兵は階級章からこの地区の指令クラスだったことがわかる。何機かの鉄くずとなった兵が折り重なるように上に乗っていた。守られたのか、吹き飛ばされて結果このようになったのかは今となっては誰にもわからない。
 幾たびかの点滅の後、機械兵の目が確と灯った。

 ……再起動。警告アラームをオフ。外殻損傷69%。五感センサーオン。味覚センサー、異常なし。聴覚センサー、20%低下。嗅覚センサー、破損。触覚センサー、17%低下。視覚センサー、70%低下。
 左眼窩に石片を確認。現装備での修復不可能。
 現時刻は一七三○。最後に本営に通信を行ってから三日と二時間二分が経過しています。
 状況確認。サテライトアイに接続。
 周囲に自軍損害を確認。照会します。
 ……照会完了。全滅を確認。本営に状況報告を送信します。
 送信中。……送信エラー。本営はこの状況報告を受理できません。
 想定外。本営に異常事態発生の可能性。信号なし。サテライトアイに接続。本営位置まで移動します。
 移動中。……移動完了。サーチします。
 本営、壊滅。損害を確認。照会します。……照会不可。高濃度の残留ジャミングを確認。照会信号を読み取れません。生体反応を探索します。……生体反応なし。
 現思考タイプでは当該状況におけるこれ以上の進展は不可能と判断。思考タイプを切り替えます。
 当該状況は想定内。敵陣営による何らかの新兵器投入の可能性。
 味方陣営も同様の処置をとった可能性。サテライトアイを予想される敵本営位置へ移動。
 ……該当箇所は壊滅。味方陣営も開発中であった新兵器を完成、或いは未完成の状態で投入したと判断。高濃度の残留ジャミングを感知。生体反応なし。
 サテライトアイ移動中の探索による戦火、生体反応はともになし。
 当該惑星における生態系根絶の可能性。サテライトアイを生態系探索のため巡回にまわします。
 目標を敵兵力の殲滅から生体系存続の為の援助に切り替え。惑星中枢管理部に命令変更の要請を送信。応答なし。現時点を持って当機体は独立個体として稼動します。
 左脚部被弾箇所の損害重大。歩行不可能。当戦場に投入された同系機AK73型による代替可能。左脚部流用可能なAK73型の探索。……17機が該当。
 これより左脚部の換装及び軽被弾箇所の修復を実行。後に残る三機のサテライトアイへの接続を試みます。


 彼が生体反応を見つける56時間と12分後まで、暫し物語は停滞する。

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