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思いつきで文章の草稿や断片を書くための場所。

草稿帳460-451

460


 新しく開発された転送装置を是非とも使ってみたいという要望があり、不安が多くあったのだが押し切られる形で私は学者の菊沢の同行を許可した。
 この問題について菊沢を責めるのは角違いであるのは判っている。むしろ悪いのは私たち技術者側なのだが、見知らぬ土地、下手したら別の惑星かもしれない場所に来て、困るどころか、見たことのない昆虫を見つけたと言ってはしゃぐ彼女の姿を見ていると何だか自分は悪くないような気がしてくる。
 なんとか数時間ほどで再調整をして無事戻ることが出来たが、これは幸い私が技術者であったからで、利用者が皆そうだというわけではない。実用化はまだ遠いことを確認した。菊沢は未知生物との遭遇に喜んでいたが私はそれどころではなく、そちらに見向きもしなかったが、どうやら私にも未知との遭遇に少しばかり縁があったようだ。

 結果的に短い付き合いとなってしまったが、その生物はとても不可思議だった。いわゆる不定形生物というものであった。
 私のところに現れた理由は不明であった。疲れ果てて帰ってきた私にいつのまにかついてきた犬に対して、私が家の前で追い払う仕草をすると、犬は私の目の前でどろりと腐り落ちるかのようにその形を崩した。私は疲れきっていたにもかかわらずひどい恐怖と混乱でより心労を重ねることとなった。
 その生物は私が恐怖のあまり異なる認識を差し挟む前に、別の形態をとった。帰りに寄った酒屋の店主になったのだ。
「あんた……酒屋の?」
 目の前で姿が変わったというのに、我ながら馬鹿なことを言ったと思う。気が動転していて、頭が回っていなかったのだ。私の言葉にその生物は何も答えなかった。何か喋ろうとしたのか、口を何度か開きはしたがついにその言葉が出てくることはなかったのだ。
 徐々に判ってきたことではあるが、その生物は私の思考を漁って、その中から適当に拾い上げたものを形として取り上げているようだった。
 友人の顔だけになってみせたり、彫像のようなものになってみせたり、その行動は無邪気なものにも思えるが、見方を変えれば私の反応を伺っているようでもあった。私がいたく面白いと思ったものであればそれなりの長さで同じ姿を維持しているが、気分を害したり愉快に思わないような反応をすれば、すぐにその形を崩して不定形に戻ってしまう。
 何日か過ごした後、私はその生物から体の断片を採取することに成功したが、本体から切り離された断片は一時間と持たずに霧のように蒸発してしまった。おそらく本体に核となる連結機能があるのだと考えられるが、その体積の増減具合はとても説明できないようなところがあり、依然として謎に包まれている。
 まだまだ調べたいことは山積みだったのだが、別れは唐突だった。
 その生物はその日人の形をとった。だがその人は私が愛し、いまだに愛しているのに私を捨てて去ってしまった人だった。その姿を見た瞬間、私は深い悲しみに包まれた。おそらく表情にはその感情が出てはいなかったと思うが、思考を読むその生物には伝わってしまったらしい。彼女の顔をしたその生物は悲しそうな目で私を見ると、その形を崩し、それきり私の前からいなくなってしまった。


459

「あ、この本……」
 先輩と一緒に図書委員の仕事をしている時のことだった。返却された本を棚に戻していたら、先輩がふと一冊の本を手にとった。
「どうかしたんですか?」
「やっぱり……見て、これ」
 そう言うと先輩は、私に本を渡した。私は戸惑いながら受け取ってぱらぱらとめくってみる。真ん中辺りから後ろが白紙になっていた。
「え、ええ!? 印刷ミスですか!?」
 こういう演出なのかと疑ったが、明らかに白紙の前のページは物語が綴られていた。
「ううん、失われている最中なのよ」
「失われている?」
「うん……」
 先輩は返事をしたが心はここにあらずといった感じで、それ以上詳しく聞くことは出来なかった。

 私はその日、なんとなくその本を借りてきてしまった。
 失われている、と先輩は言っていたがどういうことなのだろう。その本は「ドーラマーヤの物語」と言う、普段私が読むファンタジーからはかけ離れた、どこかの部族をテーマにした小説だった。
 平和を求めて日々を生き、戦う部族の青年ドーラマーヤのお話。生きていく上で他の部族との衝突は避けられなかった。
 ドーラマーヤが自分の部族を救うために東西奔走する、その真っ只中で話は切れていた。

 ネットで書評を調べてみるも、ちゃんと完結した物語として評価されているもので、落丁に関する書き込みは見当たらなかった。
 この本だけなのだろうか。私はもう一度物語が断ち切られている部分をめくってみる。
(……あれ?)
 心なしか、ちゃんと印字されていた最後のページも薄くなっている気がする。
 首をかしげてよく見直すも、やはり薄くなっている。読めないほどではない。元からこうだったのだろうか。何分古い本だから字が薄いということも珍しくなく、思い違いということも十分にありうる。でも図書室で見たときは確かにもう少し濃かったような気がしたのだけど。

「ねえちょっと成田さん」
 翌日の昼休み、先輩が首を傾げながら受付に居る私のところにやってきた。
「なんですか?」
「昨日のあの本、知らない?」
「あ、私借りちゃいましたけど……。持ってきてますよ」
 そう言って私は慌てて鞄から本を出した。
「ううん、借りようとしたわけじゃないんだけど」
 先輩はそう言いながら本を手にとってページをめくり始める。
「やっぱり」
 そう言って昨日と同じように私に本を差し出してくる。なんだろう、と思いながら受け取ってすぐに気がついた。昨日薄くなっていたページがなくなっているのだ。完全に白紙になっている。そこにインクの跡など微塵も残っていなかった。
「え……」
 私は思わず絶句する。昨日の印象は気のせいではなかったのだ。
「こ、これどうなっているんですか!?」
 私は気がついたら身を乗り出すようにして先輩に詰め寄っていた。
「さあ。でも最終的には本がなくなっちゃうみたい」
「なくなる……って、その」
 まさか文字通りの意味ではないだろうと私は思ったが、確認せずには要られなかった。
 先輩はそんな私の意図を読んだのか、残念そうに首を横に振った。
「記憶からなくなるだけなのか、物質的になくなるのかは判らないけどね。私もなくなる瞬間まで見守ってたことはないし。飽き性なのよ」
「じゃあ私が!」
 気負うように言うと、先輩は困ったように笑った。
「言うと思った。ま、いいんじゃない? よかったら私にもどうだったか教えてね」
「はい!」
 私は返事をすると手元の本に視線を落とす。まるで本が生きているように感じられる。生きているとしたらこの現象はどう説明すればいいのか。死にゆく途中なのか、文字が本から別のどこかへと渡り歩いてゆく途中なのか。考えるだけでわくわくしてくる。 「あ、そうだ」
 先輩が思い出したように言った。
「はい?」
「本に名前書かないようにね」
「名前……ですか? そりゃ、私のじゃないし書きませんけど」
 私が戸惑ったように返すと、先輩は「ならいいけど」と言わんばかりの調子で肩を竦めた。

 本はゆっくりと、だけど確実に白紙の部分を増やしていった。あれから先輩とも何度も会っていたが、特に経過など聞く必要もないと考えていたのか、それとも単に飽きて結果だけ待っているのか、先輩は私にその本の話題を振ってこなかった。
 私は急速にその本に支配されていくような思いがした。夜、暇な時間ができると本を机の上に置いて表紙を撫でていた。他のことはどうでもいいような、そんな感覚が心地よかった。時々は印字されている部分を開いて文字を目で追ってみる。若干黄ばんだ紙に、明朝体が踊っている。今日はこのページが消えるのだ。私は印字されている最後の見開きを開く。じっくりと目を通して、頭に情景を描ききる。蓄積された世界観で、生きた記憶として私の中でドーラマーヤは動いていた。
 ふと、ドーラマーヤに密接に繋がる記憶として、先輩の顔が浮かんできた。
 そういえば先輩に何か言葉を貰っていたんだった。
 先輩は何と言っていただろう。そんなに前、と言うわけでもないのに記憶が曖昧だった。ページが消えると共に私の記憶力にも何か作用しているのだろうか。何だったかな。確か、確か……そう、名前。名前を……?
 私は慌てて本をめくってみる。やっぱりだ。どこにも名前を書いていない。先輩は確か名前を書くようにと言ったのに、すっかり忘れていた。名前をどうにかする、と言うことは覚えていた。これは図書室の本だし、わざわざ名前を書くなと言う忠告を図書委員でもある私に言うはずがない。となるとやはり名前を書くように、と言ったに違いないのだ。
 私は目次の横にしっかりとペンで名前を書いた。

 本はゆっくりと、だけど確実に白紙の部分を増やしていった。もう印字されたページも残っていない。今日は目次が消えてしまう。多分、一緒に私の名前も消える。どうなるのだろう。ドーラマーヤが生きた記憶として残ったように、私も生きた記憶として残るのだろうか。でも私の中に残っていたのに、どうやって私が記憶に残るのだろう。そう考えると、私の名前が消えるだけなのだろうか。
 明後日か明々後日には印字された部分が全て消える。でも、今日は私の名前が書いてある目次が消えるのだ。
 私は期待感に胸を躍らせながらゆっくりと眠りにつく。
 私は夢を見た。いつもより近くでドーラマーヤを見た気がした。その夢は深く、深く、私の意識を見知らぬどこかへと沈めて、そのまま深い記憶の虚構へと連れ去ってしまった。


458

「なあ、こいつを歌ってくれないか」
「……何よこれ」
「歌さ。アンタが歌い屋だと聞いて持って……」
「違うわよ! この内容よ!」
「え? ああ、まあ確かに下手糞かもしれないけどな、それでも歌って欲しいんだ」
「表現は確かにイマイチな点もあるわ。でも率直で心を惹きつける素敵な歌。……何故あたしに持ってきたの?」
「何故、とは? アンタは歌い屋じゃないのか? おかしいな、でも調べたときは確かに……」
「確かにあたしは歌い屋。でも元よ。知らないの? 干されちゃったのよ。一時期それなりに話題になったはずだけど」
「話としては聞いていたが、俺はあまりそういうことは知らんからなあ。でも、ダメか? 歌ってくれないか」
「今はもっと上手い子がたくさん居るわ。あたしはもう古いのよ」
「でもアンタがいいんだ」
「しつこいわね」
「俺の息子がアンタのファンでね。これは息子が書いたもんで、アンタに歌って欲しいらしい」
「何で本人が持ってこないのよ? こういう場は本人が頼みに来るのが礼儀じゃないの?」
「すまない、それは判っているんだが、これは俺が勝手にしていることなんだ」
「どういうことよ?」
「俺の息子はもう長くない。だから最後に歌ってもらいたがっていた歌を贈ってやろうと思ってな。相場は知らないが、金もできる限り用意する。だから頼む」
「…………」
「……ダメならこれだけ教えてくれ。アンタは干されたと言っていたが、歌い手を辞めた理由はそれだけなのか? 歌い手は声に力を、生命力を込めるために寿命を削っているという話が関係あるんじゃないのか? 俺は情報をかき集めただからその辺りはなんともいえない。だが屈指の歌い手であったアンタが歌い手をやめた理由は、もう寿命をこれ以上削れないからだったという話も結構見たんだ」
「調べた、ね。じゃああたしがどうして歌い手になったか、というのは知ってる?」
「ん? ああ、死ぬまで歌っていたい、という奴か?」
「ちょっと違うわね。死ぬその瞬間まで、よ。まあ、その本人に会ってみるくらい悪くないわね。どうせ暇だし。じゃあ案内してもらえる?」
「あ、ああ、よろしく頼む!」
「ちょ、ちょっと、まだ歌うなんて一言も……ちょっと! ……ちぇ、まぁいいけど」


457

 少し時間が出来たが別段やることもなかったので、何かゲームでも買おうかと思いゲーム屋に立ち寄った。
 特にどういうのを買おうと決めていたわけでもなく、棚を流し見していたらふと目に留まったタイトルがあった。
「のぶおの城」
 そう書かれていた。なんともミスマッチな印象が否めないタイトルである。パッケージを手にとって見ると、いつ発売したのかは知らないが初回限定版と書かれてるシールが張られていた。裏を見ると全体的におどろおどろしい印象を出しつつも色々書かれている。あまり売れていなかったのかもしれない。まあいいか、そう思いこれを購入することにした。

 説明書も読まずにとりあえずセットしてみる。初回限定版ということで色々とついてきたが、ロードの間に見てみると設定資料集と薄気味悪い人形の携帯ストラップだった。携帯ストラップのほうはなんだかもう、嫌がらせの域に差し掛かっている気がする。これがのぶおなのだろうか、と若干後悔を覚えつつゲームを始めてみる。
 ゲームは物語仕立てで導入から始まった。妙にかわいらしいが目の死んでいる少年が、真っ暗な画面の中央にスポットライトと同時に現れる。
『主人公ののぶおは心を失った少年。』
 それからのぶおのズボンが拡大され、そのポケットに入っている携帯電話からぶら下がるストラップが映し出される。これは一緒についてきた薄気味悪い人形のストラップだ。
『人形は心を持っているが体を動かすことが出来ない。』
 画面が暗転する。
『代わりに……』
 白文字が浮かび上がる。
『人形はのぶおを支配していた。』
 画面が再度暗転、とたんに画面が色鮮やかな……ゲーム画面に切り替わる。
 と言っても、いくつか選択肢としてコマンドがあるだけだ。これはそういうシミュレーション系のゲームらしい。タイトルから期待していた混沌さはなく、少々ガッカリしながらゲームを進める。
 だけど二時間もやる頃にはすっかりハマりこんでいた。
 大まかな進め方としては、極力周りの人間との接触を断っていけばいいらしい。これだけ書くとひきこもりになるゲームのようだが、周囲の人間の影響が薄まれば薄まるほど、人形の支配力が強まるのだ。やっていて自分が悪人にしか思えなくなってくる。
 そしてのぶおを助けるべく出てくるのが、「りっか」だった。
 のぶお以上にかわいらしいビジュアルで、目も強く輝く少女がことあるごとにのぶおに絡み、人形の支配力を弱めてくれる。
 人形は懸命に距離を置いてりっかの影響を薄めようとするが、りっかは懲りずに何度も積極的に構いにくる。何度か繰り返しているうちに、のぶおが心を取り戻し始める。
 もうこの辺りからプレイヤーは完全に旗色の悪い悪役だった。しつこく抵抗するがのぶおとりっかの前になすすべもなく、最後には母なる海へと投げ捨てられてしまう。ゲームオーバーの文字が無残にも表示される。ゲームとしてはバッドエンドなんだろうけど、物語的にはグッドエンドだ。
 だがやはりこれはこれでひとつの完結したエンディングだったらしい。流れ出したスタッフロールを前にして、しばし呆然とする。詰まらなかったとまではいわないが、言い知れぬ感覚が胸の内に渦を巻いている。
 何だろうこの気持ちは。のぶおとりっこは幸せになって、悪だった人形は捨て去られた。何も問題ないはずだ。
 ふと説明書を手にとってめくってみる。
『人形は心を持っているが体を動かすことが出来ない。』
 ここまでは同じだった。人形の紹介の項目にはもう少し多くのことが書かれていた。
『人形もヒトと心を通わせようと思い、のぶおを頼った。だがのぶおは心を失っており、それに応えることが出来ない。のぶおは心を、人形は体を、お互いにないものを埋め合わせるべく一人と一体は力を合わせた。』
 頭をカラにしてその言葉を染み渡らせる。のぶおとりっこは幸せになって、人形は幸せにならなかった。そういうことだ。視点を変えればのぶおが裏切ったようにも見える。のぶおは心を取り戻したのに、人形は心を持った人形のままだったのだ。
 薄気味悪い人形のストラップは、設定資料集の上で打ち捨てられたように横たわっている。それを手にとって、改めて顔を見てみる。
 薄気味悪い。その感想は変わらなかったが、なんとなくぎゅっと抱き寄せた。


456

 くしゅん、くしゅん
「くそ、なんだろう一体……あ、急に目も痒く……うああああ」
「久しぶりだね」
「な……誰だ!?」
 くしゅん
「私は花粉の精だ。一年ぶりに会いにきた」
「な、またお前かくそっ」
 くしゅんくしゅん
「お前は去年マスクをつけて目薬を常備して、徹底して私を退けようとしたが今年はそうはいかん。まだマスクを購入していない今のうちに手遅れなくらいに侵食してやる!」
 くしゅん
「ふふ、そう上手くいくかな」
「何だと?」
「こんなこともあろうかと冬の間に用意しておいたこ……」
 くしゅん
 コン ぽしゃ
「あ」
「あああー!?」
「……ええと」
「冬の間に……用意しておいた……」
「……その、何ていっていいのか判らないけど、元気出せよ。そうだ、あと一月待ってやるから! また用意すればいいだろ? な!」
「うん……」
「じゃあまた来月来るからそれまでにはちゃんとして置けよ!」
「うん……」

「ようし計画通り延びたぞ。もう少しゆっくりできる」


455

「あの、すいません」

 恐る恐る、といった態をとりながら声をかけてきた女を見て、俺はやっぱりなと思った。どうも怪しいと睨んでいたのだ。ずっと視線を感じていた。遠からずアクションをかけてくるだろうということは予想するのもたやすかった。
「他をあたってくれ」
 女が用件を告げるのも待たずに俺は答えた。勧誘には興味なかったし、ましてや相談事ならもっとごめんだった。
「あの、違うんです。その、勧誘とかじゃなくて……」
 俺はスキンヘッドな上にスーツを着て、メガネこそ普通のものだが髭も生えているせいで堅気に見られることは少ない。軟派な勧誘なら俺の姿を認めただけでそそくさと遠ざかるのが普通だ。だがたまにはそんな俺にも勧誘をかけて来るツワモノも居る。しかし確かにこの女はその類には見えなかった。
「何だ?」
「村山、村山リュウジさん……ですよね?」
「……そうだが」
 俺は怪訝な顔で改めて女を見た。誰だろう。一言で印象を言ってしまうならば、暗い女だ。
「驚かないんで欲しいんですけど」
「なんだよ」
「私、あなたの子供……あぁ! ちょっと待って! 最後まで聞いてください!」
「他をあたってくれ」
 女は、歩く俺になおも食い下がって言い募る。
「覚えてないですか、あなたが小学生の時に作った……」
「小学生の時に子作りなんぞするか」
「紙粘土の人形を」
「……そりゃあ、ガキの時分だし、作ったかもしれないが」
「かもじゃないんです! 作ったんです!」
「判った、判ったよ。でもそれがどう関係するっていうんだ」
「それが私です」
「そうか。じゃあな」
「ちょっと待って! せめて話くらいは聞いてください!」
「離せ! 掴むんじゃない! もう十分聞いただろうが!」
「まだです! まだ話したりないんです!」
「俺だって忙しいんだよ!」
「判りました! じゃあ二日後の午後七時に二丁目の公園に居ますから! お願いしますね!」
「いかねえよ!」

 いかねえよ、とは言ったものの二日前の出会いは強烈で、気にはなっていた。行かないと決めてはいたものの、実際時計が七時に差し掛かることにはちらちらと結構な頻度で時計に目をやっていた。
 絶対に行ってやるもんか。
 そう決めてはいたのだが、七時半になって突如降り出した雨は一気に土砂降りとなり、さすがに気も気でなくなってきた。馬鹿馬鹿しい。あの女も本当にそうするつもりで言ったわけではないのだろう。そうに違いない。……でもああいう暗い女はそういうところは執拗にこだわる気もする。真っ暗な公園。明かりの掠れる街灯。その光と闇の境界でどちらにも馴染まず佇む女……。ああやだやだ、なんともありそうな話じゃないか。
 二丁目の公園はここから歩いて十分くらいのところだ。別に女が居るとは思わなかったが、雨の中散歩するのも楽しいかもしれないと急に思って立ち上がる。ついでに公園に寄るくらい何のことはない。
 傘を差して大股で公園まで行って、速度を落として通りがかったフリをしながら公園全体を見回してみる。
 誰も居ない。
 そう思って安心しかけた時、公園の貧弱な街灯の下に何か見慣れないものが見えて首を傾げる。人が居たわけではなく、不自然に何かが落ちているのだ。わざわざ街灯の下にあるんだから置いてあるのだろうか。不思議に思いながら近づいてみると、それは女物の衣服一式だった。上下がある。
 まるで人の中身だけ不自然に消えてしまったかのようだ。
「おい、誰か居るのか!」
 俺は急に怖くなって声を出して呼びかけたが、当然のように返事はなかった。
 衣服を足でつついてみると、何か塊がまだ中に残っていた。服を除けて見てみるとそれは土の塊のようだった。紙粘土がこんな短時間でこうも容易く溶けるわけはない、と頭のどこかでは考えていてもこの状況を前にしては少し揺らぐ。
 雨は依然として降り続けている。


454

 つい先日買った夢見枕を私は大いに気に入っている。夢の中では私は世界を駆ける大女優であり、世界政府に抗するレジスタンスであり、あらゆる富の中から生まれたセレブなのだ。
「りつ子、早く起きなさい」
「あと五分だけー……」
「もう、いつもそうなんだから」
 そう言いながら、私は布団の中へと潜り込んだ。夢の中が思い切り素敵なものである分、目覚めることへの抵抗は強い。私は後もう一度だけ、ささやかなものでもいいから夢を見ようと目を閉じた。
 それから暫くして目が覚めたが、明らかに五分以上は過ぎていた。お母さんはどうして起こしてくれなかったのだろう。私は慌てて飛び起きる。

「おはようございます、姫様」
 じいやが穏やかな声で挨拶をしてくる。不思議に思ってあたりを見渡す。天蓋つきのベッド、ホテルのスイートのような大部屋、豪華な調度品……そうだ、私はお姫様だった。
「どうかなさいましたか?」
「いいえ……なんだかとても穏やかな夢を見ていた気がするのです」
「左様でございますか。なればきっと今日も良き日でありましょう」
 わたくしは寝台から降りて窓に近寄ります。とても天気が良い。そして横目で少しだけ自室を見ます。ビロードの絨毯に高級木材で作られた化粧台、流行を取り入れたシャンデリアに室内に漂う紅茶の香り……見慣れた部屋だと言うのに、何故見覚えのない気がしたのでしょう。それも新鮮味があって悪くはないかもしれないですけれど。
 穏やかで、長い夢を見ていた気がします。悪態をつきながら勉強して、友達とご飯を食べながら騒いで、ささやかながらも自由な恋愛をする、そんな夢を。


453

 竜が吼えた。弱く、最後の力を振り絞るように。
 知らずに居れば岩壁の一部と見間違うほどの巨体でありながら、そのような瀕死の態である竜を怖がる生物はあまりいない。
 通りがかった人間の男も例に漏れず、竜の存在には気がついたが、リアクションに準ずるものは極めて希薄だった。
 なんのことはない、人間の男は健康でこそあったが、精神を病んでいたのである。
 男は竜とほとんど同列に扱われる存在であった。外法使い。それが男の背負う名前だ。
 人にして人ならざるものと言われる外法使いは、竜と同じく無条件に討伐対象としてあげられる存在だった。男はただ、誰かを助けたいと思っていたのに、その誰かは武器を手に男を付けねらう誰かでもあったのだ。
 男は竜の腹が抉られていることに気がつき、そのせいで余命も僅かといった状態になっていることを理解した。男は立ち止まって逡巡し、散々呪われ追われ続けてきた外法を竜にかけることにした。
 竜は横目でその動きを見ると、安心したように目を閉じる。苦痛に耐えながら無駄に生き長らえるのもここまでだ、とそのようなことを表情は語っていた。
 男は治癒の外法をかけながら、ふと思いついた術式を一瞬で組み立て、検算し、術式として矛盾がないことを確認するともののついでに竜にかけた。竜は治癒のために意識を奪われ、仮死状態になっていたため何が起こっていたかに気づくはずもなかった。

 竜はやがて目覚め、目が覚めたことに驚いた。腹を探るが、あれほどの致命傷が嘘のように消えている。竜は男の姿を求めて首を回したが、男の姿も消えていた。
 竜が吼えた。強く、全ての力を込めて。
 知らずに居れば岩壁の一部と見間違うほどの巨体であるが故に、そのような力ある生命に近寄ろうと思う生物はあまりいない。

 男は人知れず死にかけていた。
 竜が居るという理由で恐れられている山の最深部で、男は死にかけていた。色々なものを捨ててきた。残ったのは助けようとした人たちの怯えと、排される対象である力だけだった。
 男はうつろに地面を見つめてぶつぶつと声にならない言葉を吐き続けていたが、竜の吼え声を聞いて正気に戻った。
 自分の外法が成功したことを知って、何だやっぱり正しかったのではないか、と少しだけ笑う。それから疲れたな、と思ってその場に崩れ落ちた。少し眠ろうと考えたのだ。そう、疲れたから、少しだけ。

 竜が男を見つけたのはそれから間もなくしてのことだった。己の縄張り内に侵入者が居れば、気配くらいはなんとなく察することができる。相手が自らの気配を隠そうともしていなければ尚更だ。
 竜が見つけたとき、男はその場で死んだように横たわっていた。竜はこの人間は死んでしまったのだろうか、と手でつつこうとするが、すんでのところで力の差に気がついて手を引っ込める。
 触れることができない。触れたら、その力の差ゆえに、どんなに気をつけようとも男は無事ではすまないだろう。
 でもどうしても触れたかった。助けたかった。話したかった。何故自分を助けたのか。どうやって助けたのか。聞きたかった。
 竜は寂しかったのだ。
 竜は男の周囲を徘徊していたが、急に足に力が入らなくなって転倒した。攻撃を受けたわけではない。竜は不思議そうに鳴いた。その脱力感は徐々に全身へと手を伸ばし、麻痺でもしたかのように横たわるしかなかった。竜は体力が尽きたのか、と目を閉じて少しばかり睡眠をとることに決める。
 そして目を覚ましたとき、世界が完全に変わっていた。竜は人になっていたのだ。体の勝手も変わっている。立ち上がろうとして何度も転んだ。立ち上がっても歩くことが出来ずに何度も転んだ。腕をほんの少し動かすつもりが、思い切り振りかぶった。指を使おうとして思い切り強張る。体の向きを変えようとしてその場で回転した。時間も忘れて動かし続け、ようやく慣れた頃には日が落ちていた。何度か瞬きをして夜に目を慣らす。男はまだ横たわっている。
 竜は神聖なものでも触るかのような慎重さで、男の頭に触れた。男は身じろぎひとつしない。死んでいるのだろうか、と竜は固い動きで首を傾げる。
 少しだけ強めに男をつつく。男は不快そうに僅かに身じろぎをした。
 竜はそれを見て安心するとぺたんと地面に座り込んだ。良かった、生きていた。そんな思いがあった。生きているなら目が覚めるまでここでずっと待っていよう。竜はそう考えて、急に気が楽になった。改めて自分の体を眺める。なんだか鱗がなくなってしまって、ずいぶんとひ弱になってしまった気がするなあと考えた。


452

 自分でこの仕事を選んでおきながら言うのもなんだが、最近自分がヒーローには向いていないんじゃないか、と思うことが多い。体力的にも気力的にも問題はなかったのだが、それ以外の要素で非常に問題があったのだ。
 どうも俺にはそそっかしいところがあった。何かに遅れていると感じると、何が何でも間に合わせなきゃならないと他に何も考えられなくほどの焦燥感に囚われ、そのことで周りが見えなくなって余計なミスをし、無駄に手間取ってますます遅れるのだ。こないだもそうだった。仕事で現場に向かわなきゃいけないって時に大事な仕事着にコーヒーをこぼしてしまい、生乾きの替えを着ていく羽目になったのだ。しかも現場に着く頃には事態は決着していて、俺を迎えるのはただ白い目だけだった。バイクで疾走してきて冷え切った体にこの仕打ちはキツい。
 今日こそは、と思う。前回は最悪だった分余計にそう思う。先輩たちのように神がかったタイミングで、とまでは言わないがせめて無難には仕事をこなしたい。信号待ちの間に時計を見る。うん、大丈夫だ。この調子で行けば問題なく現場にはたどり着ける。止まっている俺のことを周囲の人がじろじろと見てくるが、もうこういうのは慣れっこだ。
「今日こそは頑張れよ!」隣の車の運転手が窓を下げて声をかけてくる。俺は腕でガッツポーズを作ることで答えた。仕事中は基本的に声を出してはいけないのだ。
 現場に近づくと歓声が耳に届く。良かった、間に合ったようだ。だが颯爽とバイクで現場に乗り付けてから気づく。先客が居た。俺より先に来た別のヒーローがちょうど怪人と対峙した所だったのだ。ああ、またやってしまった。間に合ったのに形容しがたい空気が場を支配する。中心で戦っているヒーローと怪人も俺を見ている。声を出していけないというのはここでは都合がいい。いかにも通りがかっただけだという顔でさりげなく踵を返す。
 やっぱり俺はヒーローには向いていないんじゃないだろうか。


451

 水が出なくて死にたくなった。
 だから死んだ。

「おい……またか!」
 白装束を纏った金髪の偉い人が私の姿を見るなり、うんざりしたように言った。
「はあ、なんか、またみたいです。すいません」
 またか、と言われても私は以前の記憶がない。以前も水が出なくて欝になり死んだのだろうか。
「今度は何だ? 何で死んだ?」
「その、水が出なくなって……」
 偉い人は呆れた顔で首を振る。
「別に凌ぐ方法なんていくらでもあるだろう? そもそも水に囲まれたところで生活しているのに水が出ないもないだろうに」
「海水はやっぱり違いますよ」
 偉い人は肩をすくめて、手にした分厚いカタログのようなものを捲り始める。
「あの、それは?」
「あんたの次の行き先を探してるんだよ。困るんだ、ちゃんと長生きしてもらわなきゃ」
 次の行き先……転生の話だろう。だが私は折角生まれ変わっても、この性格じゃうまくやっていけるはずがない。
「折角ですが、私は……」
「ストップ! それ以上は言うなよ。いずれうまいこと生き抜くことができるさ。結婚して、幸せになって、子供を作るんだ」
「……できるのでしょうか」
「当たり前さ。ダメであり続けるやつなんかいやしない。だからあんたももう少し自分の命を大切にしてくれると、こっちも助かるんだけどね。……うん、よし、そうだな。ここならいいだろう。今度はしっかり生きてくれよ」
 私が返事をする間もなく、意識が吸い込まれていく。偉い人は私をじっと見つめていた。

「先輩、またダメだったんですか」
「ああ」
「今度こそうまくいくといいですね。先輩、なんだかんだで天使の中じゃ最年長ですもんね」
「少しづつ精神が強くなってくれているなら、とも思ったんだがな。こればかりはどうにもならんらしい」
「大変な人を母親に持ったものですね」
「まったくだ。生まれることすらできやしない」

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