思いつきで文章の草稿や断片を書くための場所。

草稿帳555

 電話が鳴っていた。
 単なる非通知だったら無視するだけだったが、いかんせん何もかも文字化けしていてもう訳がわからなかった。

(ついに壊れたのだろうか)

 相川秀弥は思い悩む。高校生で安アパートとはいえ一人暮らしの身の上である。あまり贅沢もどうかと思い、もう型落ち品でさえもそう手にはいらないようなスマホを使っていたのが遂に寿命を迎えたと解釈するべきなのかもしれない。
 待機状態でもバッテリーの持続時間は6-8時間、少しでも触れば三時間位しか持たない。ツイッターは対応しているクライアントも減ってきた上、使っているものもしょっちゅう落ちるしLINEは開くのに三分かかる。動くスタンプなど送られようものならスマホごとフリーズする。
 そして今着信が来ていて画面に表示されているのは、本来なら名前が表示されるべき箇所に、

 繧ソ繝シ繝ウ��讖溯�繝サ遐皮ゥカ�ゥ竺軸

 そして電話番号が表示されるべき箇所に、

 مرحبا�蒔・宍雫七 هناكأحفاد

 そう表示されていた。


 このまま無視するべきだろうか。なんとなく自分で切るのは気が引ける。
 留守電でも設定しておけばよかったと相川は思う。
 だが設定の仕方が判らなくて買ってから一度も留守電の機能を使ったことがない。そもそも数えるほどしか電話がかかってこなかったということもあるが。
 相川が思い悩む間も電話はなり続け、バッテリーはもりもり減っている。この一分足らずの間に10%は減った。
 体感的にはもう十分くらい経っている気がする。
 相川は観念して電話を取ることにした。
 通話アイコンをタップして耳に当てる。

「えー、……もしもし?」

『おお! 本当に繋がった! えーと、待ってくれ、切らないで聞いてくれ』

 電話の向こうからは遠くで風が吹くようなノイズと一緒に女性の弾んだ声が聞こえてきた。

「どなたで……?」

『私はイミーリヤ。えーと、そうだな、そちらに馴染みがある言葉か判らないが、魔女をやっている』

「はあ……はあ?」

 相川は首を傾げる。魔女……魔女。魔女をやっている、とはどういうことなのだろう。からかわれているのかもしれない。
 だが声のトーンはいたって真面目で、とにかく通話を切られないように慎重に言葉を選んできっちりと発音しているような印象さえ受ける。

「一体何を……いや、違うな。ええと、何で俺に電話を……?」

『私はちょっとした装置を作っていてな。これがあれば世界を超えて通信が可能になる、とそう言う装置なんだ。そしてそのテスト通信をしていたというわけだ!』

「はあ」

 どうしよう。全く意味が判らない。
 相川は自分の知識を総動員して、この魔女を名乗る女の言葉を噛み砕いてみる。
 要は変なハッキングツールを使っておもちゃを作ったからそれを動かしてみたらたまたま自分の携帯に繋がった……?
 どう考えてもまともじゃないしお近づきになりたくない。
 だがそんな相川の心中を知らずに魔女は言葉を続ける。

『なあなあ、そっちの世界の話を聞かせてくれよ』

「こっちの世界の話? 何が知りたいんですか」

 相川は魔女の言葉の裏に何か後ろ暗いものがあるようにはどうにも思えず、そしてその言葉にも何かを探るような意図があるようにも思えず、ひとまず話に乗っかることにした。

『そうだなあ……。うーん、確かにちょっと質問が漠然としすぎたな。じゃあアンタだ。アンタの名前とか、生まれとか、普段何してるかとか……』

 いきなり質問が個人情報にシフトしてきて相川は回答をためらう。少し考えた末、ネット上で使う名前を名乗ることにした。

「俺はヌタ。生まれは東京。普段は学生をしてます」

『ヌタ……ヌタか! よし! 覚えたぞ! トウキョウというのは聞いたことないな。まあ遠い地なのは判った。それに学校に行っているのか、頭が良いんだな。貴族か?』

「東京は日本ですよ。そして貴族じゃない。どこにでもいる高校生です」

『トウキョウは二本……? すまない、ちょっと私には難しい。まあおいおい教えてくれ! こーこーせーというのも聞いたことが無い。どこにでも居るということは庶民学校か何かがある地区なのだろうか』

 はて。相川はここで違和感を覚える。別に片言でもなんでもない日本語での対話だと言うのに、単語として日本も東京も高校生も通じない。

「待って下さい、一体そちらはどこから電話を?」

『電話? ……ああ、これか! そうかそう呼ぶのか。私は……多分通じないと思うが旧ニルローン大王国側の山からだ』

「旧……ニル?」

『旧ニルローン大王国。ゴリアテの魔術砲撃で滅んだ国だ』

「廃墟に住んでるんですか」

 さすがに王国だの魔術だのそんな用語で騙されると思われているとは馬鹿にされたものだと相川は思う。もう真面目に相対する気はほとんど霧散していた。
 適当にボロが出るまでかバッテリーが切れるまで適当に相手でもしてやろうと言う方向に方針が変わっていた。

『いや、王国跡はまだたまに哨戒艇が回っているからな。その近くの山にちょうど済むのに適した洞窟があるから、そこを中心として拠点にしている』

「その王国に住んでたんですか?」

『うーん、滞在はしていたことはあったが……拠点を構えたことはなかったな。ちょっとあそこは私には賑やかすぎた。いや今住めば逆に静かすぎるくらいだろうけどな!』

「聞けば聞くほどこの謎の電話が掛けられる道理がない気がするんですが」

『運良く稼働するラプチャーを手に入れたから、組み込んで動作テストをしてたんだ。ちゃんと魔力振動を起こし始めただけでも歓喜で漏らすかと思ったのに、まさかこうして実際に話ができるなんて、もう、私は君が帝国のAIだったとしても悔いはない……』

 そう言って魔女は暫く通話の向こうでぐすぐすと鼻を啜っている音が聞こえた。感極まって泣き出してしまったらしい。相川はどう返していいか判らず黙り込む。
 無言の間に相川はスマホのバッテリーを確認する。16%。
30%を切ったらいつ電源が落ちてもおかしくないラインだ。このまま放っておいたら勝手に切れて自然と通話も終わるだろう。
 しかしである。
 このまま終わったらなんとなく女を泣かせてぶつ切りしたみたいで後味が悪い。

 相川は想像する。
 洞窟の中で山積みになったガラクタに囲まれている女。試行錯誤の実験の末に成功して通話が出来て感極まっている女。感極まってる間に電話が切られたら。

 やめておけばいいのに、相川は勝手に立場を入れ替えてその心境を想像してしまう。
 どうせこんなのどこかの引きこもりの女が暇つぶしに組み上げた設定に決まっている。電話の向こうの世界を取り出してみればエアコンの訊いた部屋で何やら工作を行ったPCがあり、画面に開いた世界観の設定項目とにらめっこしつつ冷たい飲み物片手に非日常と出会ってしまった少年を弄ぶ様をニヤニヤしながら眺めている可能性だって十二分にある。むしろ現実的に考えればそちらの可能性のほうが圧倒的に大きい。
 だがこうなるともうダメだ。相川は元々読書や映画鑑賞時でも感情移入をしすぎる方だ。一旦そういう可能性を考えてしまうと最後、どうせいたずらだろと切り捨てることができない。もうそれならいっそ全力で乗っかってやろう。
 相川は決意を胸に充電ケーブルをスマホに繋いだ。これで三十分くらいは安全だ。
 何故三十分かというと、充電ケーブルを繋いだまま使っていると筐体が熱を持ってオーバーヒートして落ちるからだ。正直いつか発火してもおかしくないような気はしている。

「それで」

 このままなのも気まずくなって相川は口を開く。

「話はできたとして、次の目的は何なんですか?」

『次の目的は取引かな』

「取引?」

 いよいよ本題が来たぞ、と相川は身構える。

「金ならないですよ」

『そっちの通貨が使えるわけ無いだろ、そうじゃなくて……うちの子を匿ってほしい』

「は?」

 いよいよきな臭くなってきた。相川は不安を紛らわすように露店で300円で売っていた低品質なハンドスピナーを指先で回しだす。

「もし俺が断ったらどうするんですか」

『錨を投げ直すさ。誰かひっかるまで、私の命運が尽きるまであたるだけだ。実証はできたんだ。もしかしたらまた全く別の所で接続が出来るかもしれないし、もう二度と引っかからないかもしれない』

「それに環境的に入れられないかも」

『む……それは確かにそうだな。できるだけ圧縮してみよう』

「…………」

 相川は既にもう断るつもりでいて、あとはバッテリー切れの形で切るか普通に断るか端末が勝手に落ちるかの三択だと思っていた。面白いことならまだしも、面倒はごめんだ。
 そして相川の沈黙に感じる事があったのか、魔女は言葉を続ける。

『すまない、子供という表現が君にとって正しいのかの判断がちょっとつかないが、子供と言っても肉体的、金銭的な負担はない』

「どういうことですか」

『プログラムなんだ。AIとか人工知能とか言ったほうが伝わりやすいだろうか。私が作った。だから私の子供という表現をした』
なんだ、という安堵が相川の中にあった。たしかにそれなら肉体や金銭の負担はない。あったとしても電気代くらいだろう。

「匿うというのがよく判りませんが……開発環境があるならその中に置いておけば良いのでは?」

『もしこの場所がバレたとしたら全てが無意味になってしまう。この子は希望なんだ。リアルタイムで書き換わる連中の指示系統にアクセスできて、かつ魔力庫内のエネルギーを奪うも爆破するも自由にできるようになる……はずだ』
人工知能が魔法を使うのだろうか。近未来なのかファンタジーなのかよくわからない。

「まあそれくらいなら良いですよ。どうすればいいんですか?」
要はsiriやcortanaの親戚みたいなものだろう。会話できるAIというだけでも凄い。相川は持っているものが古すぎてどちらにも縁がない。ちょっとそういうものと会話してみたい、というささやかな好奇心が選択に踏み切った。だがそもそも自分の環境に導入できる確証の方が少ない。

『おお! ありがたい……。だが今すぐには無理だ。転送方法がない。次回までにアクセス方法を割り出して何とかする』

「ウイルスとかじゃないですよね」

『私の子供だぞ。ウイルス扱いはさすがに……傷つく』

「あ、ごめんなさい」

 相川は素直に謝った。今のは流石に悪かったと思う。もう少し疑うにしても婉曲的に言うべきだった。
 そろそろ端末が熱を持ちすぎて持っているのが辛くなってきた。相川はここまでか、と会話を打ち切りに掛かる。

「あの、そろそろこっちの端末が限界なんで」

『ああ、そうか判った。こちらもそろそろトーチカが切れる。しかし今回は私の話ばかりになってしまったな 。また話してくれると嬉しい』

「え、ああ……ん? 俺の携帯にかかるんですか?」

『座標は固定されたから錨を上げない限りはね』

 表現が相川には良く判らなかったが、魔女の言う錨というものが相川の端末を特定するキーなのだろう。

「わかりました、えぇと……じゃあ、また」

「ああ、楽しみにしている」

 それきり通話が切れる。
 端末の熱が余韻のように相川の手に熱を伝えてきていた。