思いつきで文章の草稿や断片を書くための場所。

草稿帳470-461

470


 ロボットは朝四時になると充電を終えて起動する。


「おはようございます。本日は曇りです。外出の際には携帯傘を携行すると良いかと存じます」

「朝食の用意ができております。特にリクエストを頂きませんでしたので、お好みのフレンチトーストをご用意しております」

「本日の予定はありません」

「昼食の用意ができております。何か本は必要ですか?」

「食材の買出しに参ります。何かご要望のものはありますか?」

「夕食の用意ができております。本日は和食に致しました」

「風呂の支度が整いました。熱いうちにどうぞ」

「就寝の時刻でございます。おやすみなさいませ。明日も良い日でありますように」


 家はほぼ綺麗に保たれているが、一点だけ綺麗にならないところがある。ロボットはベッドの上の腐った物体を決して片付けようとはしないのだ。


469

 ゆらゆらと浮かぶ意識に、ぼんやりとした光が言った。

「きみの記憶を話そう」
 記憶って、なぁに?
「きみは今、自分がどういう状態にあるか理解できていない」
 うん。
「きみは物語から追放された」
 だれの、「物語」?
「誰の、と聞くか。なるほど。……そうだな。誰のだろう。もはやきみのものではなくなってしまった」
 かつて、ぼくのだった「物語」?
「そうだ。きみは造物主だった。神だった。大地を作り、水を作り、木々を作り、風を作り……最後に生命の礎を作った」
 ……。
「生命はゆるやかに育ち、進化し、発展を遂げた」
 そこでは、だれがおおきかったの?
「誰が大きかった? 済まない、その質問は意味が……ああなるほど、支配種族についてだね? やはりヒトだ。人間、亜人……その類だ。やはり何だかんだ言っても彼らの存在は大きい。ナメクジや蟻が主導権を握ることは多くないのだ」
 なにかが、おきたの?
「そう、何かが起きた。きみはひとつだけ気に入らないことがあった。きみが直接創り、心血を注いできた愛しい存在が居た。何代も何代もそれはきみの手によって存在を受け継がれてきた。それも――彼女もヒトだった。彼女もヒトであるがゆえに、感情を持っていた。感情を持っていたがゆえにヒトに恋をした。きみは彼女のことが好きだったから、それは許せなかった。彼女はきみの事を知りもしないということに、愛情の深さに比例した形のない怒りができつつあった。
 きみは初めて手を下そうとした。彼女をその時代から排除してしまおうと考えた。きみがその類の手段をとろうとしたのは、始まりの時代にヒトの種が絶えそうだったとき以来だった。もっとも、きみはそれを確実な手段だと考えていて、ある意味ではそうであったが、ある意味では非常に愚かな考えだった。きみが手を下すことによって、彼女の恋人の怒りを買った」
 かみさまだった、ぼくに?
「そう。神様だった、きみに。彼女の恋人。それは力もない無力なヒト……のはずだった。だが彼女との交わりを、繋がりを持つことによって、きみに触れる力を得た。彼は……彼を知る者から見れば、勇者だった。彼は数々の助力を得てきみに至り、きみをきみの物語から追放した」
 それから?
「それから、彼女は再生されて、彼と結ばれた。じきに子供も生まれる」
 それはいいことだね。
「きみが言うなら、間違いなくいいことなんだろう」
 なぜ、ぼくにその話を?
「きみの記憶はここを出るときにまた洗浄される。きみにはいくつか取れる選択肢がある。希望を聞こうと思ってね」
 ききたいな。
「きみはもう、きみの物語の主にはなれない。だがきみが作った物語の中に暮らすヒトとしてならば、生きることができる。それが一つ。きみは今一度まったく別の物語を作り直すことができる。それが一つ。きみはこのまま消えることができる。それが一つ。これらが、きみの取れる選択肢だ」
 ……とうじょうじんぶつを、やりたいな。
「いい選択だ。じきに生まれる子供として、きみは物語の中に還る。……きみも父としての彼を知ることで、彼と仲直りができるといいのだが」
 うまくやれるさ。たぶんね。


468

「あーもーいやだいやだ。ふざけるのも大概にしろよこのクソプログラムめっ」
「どうしたんですか神様」
「これの融通が利かなさすぎる」
「『天地創造』ですか。でもそのプログラム……」
「ああ判ってる、判ってるよ。みなまで言うな。確かに作ったのはおれだ」
「じゃ、何が不満なんです?」
「#光あれ だと駄目なんだよ。英語で書かないとエラー吐きやがる。意味は一緒なんだからどっちでもいいだろうがこのクソ」
「じゃあそういう風に作れば良かったんじゃ……」
「ここまで融通が利かないとは思わなかったんだよ。あー腹たつ。もう最低限作ったら二度と使わん」
「元々効率重視で、シンプルイズベストと仰っていたではないですか」
「大仕事だから仰々しくやりたいもんなんだよ。いいか? いくぞ。……# 天の大空に光る物があって、昼と夜を分けよ」
『定義されてない型です』
「これだよ。プログラムのくせに神様バカにしてんのかクソが」
(判ってるんだったら普通にやればいいのになあ……)


467

「じゃじゃーん! これなんだと思う?」
「キノコでしょ」
「そう、これこそが伝説の笑いが止まらなくなるキノコ!」
「……ふーん」
「あれ? 信じてない?」
「だって、そりゃ、まあ」
「ま、いいけどね。食べれば判ることだし」
「食べるの? それ」
「だって食べなきゃ判んないじゃない。ほら、これあんたの分」
「なんでナチュラルにあたしのまであるのよ。あたしは嫌だからね」
「ノリ悪いなあ……。いいよいいよ、私一人で食べるから」

「どう……?」
「なんか変な味……甘いような、苦いような、渋いような……キノコっぽくないなあ。あ、辛っ!? 今一瞬だけ凄く辛かった!」
「ぷっ……あははははは! 何、何それ!」
「もー、何であんたが笑うのよ」
「だって今凄く変な顔したし……あははははは! 思い出したら笑えてきた! あははははは!」
「笑いすぎよぉ……。ふふ、あはははは」
「あれ? 始まったの?」
「何かあんたの顔見てたらつられちゃって。ふふふ、私どんな顔してたんだろ」
「えー? あれの再現は難しいよ。……こんな感じ、かな? あはは」
「あははははは! それはないわよ! あははははは」
「本当にこんな感じだったって! あははははは! でもそんなに面白い味がするんだ。食べてみようかなあ」
「あははははは、結局気が変わっちゃったんだ、あははははは!」
「あははははは」
「はははははは」


466

 鏡の中で笑顔を作ってみる。ぎこちない笑顔。引きつった笑顔。半笑いの笑顔。
 私は笑顔がうまくない。滅多に笑わないからだ。
 私が笑うと、うまくない笑顔のせいで周囲の笑顔がぎこちなくなる。人の笑顔を見ることは好きなだけに、そういうのは辛かった。
 だからとてもいい笑顔を作れる人を見てしまったとき、私は胸が張り裂けそうなくらいに羨ましくなって、こうして一人で笑顔を作る練習をする。
 何回やっても、どうやっても、自然な笑顔は作れない。気づいたら三時間も経っていた。
(ばかだなあ、私)
 自嘲気味にため息をつく。その次の瞬間に浮かんだ苦笑はいい笑顔とは言いがたかったけれど、とても自然で生きた笑顔になっていて、今のは良かったなあとまた鏡に向かって笑顔を作り始めるのだった。


465

 ユーリが地球外生命体としての片鱗を現した時、彼女は俺に恐怖を抱かれることを酷く恐れているようだったが、俺はむしろ安心した。ユーリが見せた本体の断片は決して心休まるようなものではなかった。左手の人差し指、中指、薬指の三本指が俺が見知っているユーリの白く細い指ではなく、黒くてごつごつした、無骨な触手のような形になっていた。何がユーリのヒトとしての形態を崩したのかは判らない。しかしユーリは指が変形していることに気がつくと慌てて左手を隠し、怯えたような視線を俺に向けた。
 確かに、驚いた。その点については否定する必要もない。だが恐怖したか、という問いは否定できる。地球外生命体でありながら完全に人類と同じ形態と言うのも妙な話だと考えていたのだ。ユーリは自分が宇宙から来た存在であるという主張は断固譲らないが、その本来の形態については病的なまでに隠したがっている。正直な所、俺はユーリが地球外生命体であるということをいまひとつ信じきれていなかったのだと思う。だがその変質した左手の指を見て腑に落ちる感覚を味わえた。ちなみに、ユーリが俺に接触してきた理由、目的は不明なままだ。 大まかな意味でも、つまり地球に来た目的すらもまだ隠し続けている。だが時折投げかけられる意味深な言葉からも、ユーリはその目的については俺に察してもらいたがっているのだろうと思う。

 ユーリは出会った当初から戸惑いと驚きを以って身の回りのあらゆるものに接していたが、その中でも特にピアノが気に入ったようだった。ピアノに初めて触れた時、驚きつつ適当に打鍵して音を出していたかと思うと、なんと数十分後には立派に曲を弾き始めた。 俺はまるで詳しくなかったのでピンとはこなかったが、まるで既にある曲を弾いているかのような印象を受けた。俺は「何の曲だ?」と率直に聞いてみたが、ユーリは質問の意味が判らないといった反応を返してきた。即興だったのだろう。俺はその場は感心して終わった。ユーリの弾く即興曲に傾向があるのを知ったのは大分経ってからだ。 テンポが早く、重い音を好んで使う。というよりも、高い音、軽い音が嫌いらしい。一度オルガンで何か弾こうとしたが、オルガンの高音があまりにも聴くに堪えなかったらしく、嫌悪すら入り混じった表情でオルガンから離れてしまった。ピアノでの即興でも、曲の流れ上軽い音を使うことはある。だがユーリの即興では、すぐに怒涛のように溢れる重い音にかき消されてしまう。時には重苦しく、早いテンポが不安を掻き立てるような曲になることもある。外縁から内へと近づいてくるような恐怖。だが、それでもユーリの即興曲は美しいのだった。


464

 少年は、機械の身体を持った巨人兵が、断末魔の如く炎を吹き出しながら前のめりに倒れていく光景を遠くで見ていた。夜が煌々と炎で照らし出される。
 もう死にゆくだけの巨人兵に、追撃をかけるかのごとくレーザーの雨が降り注いだ。
 巨人兵は、その体躯に相応しいだけの大きさの手で身体を支える。だがそれも無駄な事だった。巨人兵の肩にレーザーが容赦なく集中して降り注ぎ、巨人兵はぐらりと傾く。
 少年は周辺を見渡し、その死にゆく巨人兵が最後の一人であることを知った。420体居た巨人兵が全滅したのだ。
 燃える巨人兵の亡骸が延々と連なり、地平線までもが赤々と燃え盛っているように見える。
 最後の巨人兵が轟音を立てて倒れこむと同時に、終戦という言葉が突如のしあがってきた。
 敵の艦隊が徐々に空を埋め尽くし始める。敵の戦力も相当削れていたが、それでもまだこれだけの数が居たのか、と少年は驚嘆の念を禁じえない。
 この惑星の民全てが巨人兵についていたわけではない。少年もそうだ。思想的な部分とは大分離れた所で、この戦争の趨勢を見守っていた。
 それでもこの惑星の民の事を大事に思い、武装して立ち上がった巨人兵たちに、少年は今ばかりは静かに黙祷を捧げた。


463

 チャイムを鳴らす。反応はない。
 表札を見る。見慣れた名前だ。

 僕が鍵を落としてから二週間が経った。
 鍵を拾った人が何食わぬ顔をして暮らし始めているんじゃないかと言う恐怖を抱いて、僕はチャイムを鳴らす。
 一分待って、二分待って……五分待った。
 中からは物音一つ聞こえない。
 誰も居ないことを確認すると、僕は安心して自分の家を後にする。
 鍵はまだ見つからない。


462

 天使はヒトを創ることも仕事の一つだ。ヒトと言っても全てではない。父が魂を入れる、その素体となるヒトだ。
 以前は父が御自ら手掛けられていたのだが、不完全な形のヒトが下界に散見できるようになると、その仕事を私たちに任せられるようになった。
 私はそのヒトを創っている。
 手元にふと影が差し、顔を上げると先輩が笑顔を浮かべて立っていた。

 先輩は不自由な身体であった私に、色々な便宜を図ってくれた恩人だ。天使として不完全だった私は、「廃棄処分」されるところだったが、先輩が引き取ってくれたのだ。
 これはかなり珍しい例だった。何せ私の不完全ぶりは甚だしく、他の不完全と言われる天使を上回る不完全さだったのだ。
 一般的に不完全と言われる状態は、身体機能の不全であったり、一部欠損であったりする状態の事だが、私は頭と左半身しか持っていなかったのだ。右半身がまるでなく、創られてすぐどうにもならない状態だと知った。特に恨み事を述べるでもなく、私は何故父が私のような者を創ったのだろうと考えた。右腕も、右足も、右翼も、何もなかった。
 創られてから動くこともままならず、ずっと聖堂の天井を見つめていた。こうしていればいずれ「廃棄処分」されるだろう、と考えながら。
 先輩は今と同じように、私を覗き込んだ。
「綺麗な眼を持っているね」
 私は少し驚いた後、首を横に振った。
「私は先ほど創られましたが、この通り動くことも出来ず、自分の顔を見たことがありません」
「動けるようにしてあげようか」
「……ヒトの身体を?」
 ヒトの身体を流用することほど愚かしいことはない。不完全な身体とは言え、ヒトのそれを天使に使えばその天使は堕ちてしまう。だがどうなるにせよ、このままでは堕ちるか「廃棄処分」かのいずれかだ。流されてみるのもいいかもしれない。
「まさか」
 だが先輩はそう言った。
「どういうことですか?」
 先輩はそれには答えず、笑顔を浮かべたままで言う。
「いい方法があるよ。今は、言っても信じてもらえないと思うけど」
 私には先輩の言う方法が想像できなかった。だが「廃棄処分」より酷いものは早々ないはずだ。断る理由はなかった。
「お願いします」
 そうして私は機械の身体を手に入れた。
 生身の肌とかけ離れた、金色の光沢を持つ機械の半身。腕も、足も、羽さえもあった。ただ機械の羽故に飛ぶことは出来なかったが。奇異と嫌悪と好奇の目に耐えることがまず私にとっては試練だった。それでも自分で動くことが出来て、両手で何かをできるというだけでも十分だったのだ。

「優しそうな顔をしているね」
 先輩が私の手元を覗き込んで言った。
 私も改めて手元のヒトを確認する。まだぎこちなさが残る、あくまでの素体としての印象を抜けきれない顔だ。
「そうでしょうか。……そうだといいのですけど。まだ余り慣れないので難しくて」
「上手なだけが全てじゃないと思うよ」
 先輩は優しげな笑顔で言ったが、その裏に私を嗜める意味も含まれていることは気づいていた。歪な天使としての私が、歪でないヒトを創ることができるのか。最初にこの仕事に着手し始めた時に随分悩んだことだ。実際この悩みを口にこそしなかったが、その悩みは創るヒトに反映されていたのだと思う。先輩は私の創ったヒトを見て言った。
『そつなくこなすことだけが全てじゃないよ。私たちにも自分の意思があって……個性がある以上、ヒトにもそれはある。私たちが創るのはクローンじゃなくてヒトなんだよ。それだけは覚えていてね』
「はい」
 私は先輩の言葉をかみ締めて、深く頷く。
 先輩は自分で作ったヒトを抱えていた。まだ父の所には行っていないはずだから、魂が入っていない状態だろう。だというのに、先輩の抱えるヒトはすぐにでも顔を歪めて泣き出しそうな、生命の躍動感が既に込められていた。
 先輩は、凄い。先輩のやることなすことを見るたびにそう思い、かなわないなあと思う。だけど先輩の顔を見るたびに、それでもいいかなと思うのだ。私はまた手元に目を戻してヒトを創り続ける。私は私の子供に大きなことは望まない。何か大きなことは成し遂げなくていい。ただ凄いと思える人を見つけて、その人を尊敬できるようなヒトであって欲しいと思う。


461

 海が好きだったと思う。今はもう思い出せない。
 少し前に記憶がなくなってしまった。私の部屋だと言われたこの部屋も、他所他所しさがとても強い。本も、アクセサリーも、人形も、どれもこれも好きにはなれない。文房具のチョイス一つから合わないな、と感じる。
 何だか「私」という身体に別の人が入ってしまったかのようだ。
 窓から見える風景も、異国の町並みのように感じてしまう。
 そんな中で、本棚の上に除け者のように置かれていた大きめの貝があった。私は貝を手にとって耳に当ててみる。今ここにある音とは別の世界の音が流れている。とても安心する。
 もう部屋に置かれて長いだろうが、少し匂いを嗅いでみる。微かに海の匂いを感じる。潮の匂いがとても馴染む。
 海が好きだったと思う。今はもう思い出せない。