思いつきで文章の草稿や断片を書くための場所。

草稿帳340-329

1 幸せ 2 怒り 3 寂しい 4 元気 5 冷酷 6 痛み 7 恐怖 8 意地 9 号泣 10 強がり

11 虚無 12 絶望 13 悩む 14 悦 15 驚き 16 複雑 17 期待 18 がっかり 19 企み 20 軽蔑
21 嘲笑 22 感動 23 どうして 24 意地悪 25 我慢 26 照れ 27 憎しみ 28 微笑み 29 まいったな 30 嫌悪
31 危険 32 知らなかった 33 眠い 34 疲労 35 焦燥 36 勇気 37 違う 38 ショック 39 苦しい 40 拗ねる
41 不安 42 自信 43 睨む 44 不満 45 きょとん 46 告白 47 照れ隠し 48 呆れ 49 見つかった! 50 チャンス


340 ―40 拗ねる

「なぁ、おいってば」
 気がつくと、俺は必死でそいつを宥めていた。
「知りませんです」
 そいつはそっぽを向いて聞く耳を持たない。

 最初に会ったのは少し前、俺がこの惑星に移動してきたときだ。事情があって逃げ出すようにして出てきたため、手持ちは殆どなく、宿をとる気はなかった。宿代も一応はあるが、これからどうなるかわからない。食費の確保を優先しておきたかった。
「何をしているですか?」
 人気のないところでゴロンと横になって一眠りしようとしたところ、見計らったかのように声が掛かった。
「あー?」
 と、片目を開けて見てみればまだ成人も仕切らんようなガキの女、しかも言葉も妙な訛りのようなものがある。
「何をしているですかと聞いたです」
「眠ってんだよ。あっちへ行きな」
 鬱陶しそうに手を振るが、ガキは立ち去る様子がない。
「何でそんなところで眠るですか?」
「こういうところが好きなんだよ」
「…そこで寝ると、死ぬです」
 さすがにその言葉は無視できないものがあった。面倒臭い気持ち一杯で身を起こし、
「理由を言ってみろよ」
「道を見るです」
 一瞬はぐらかされたような気がしてムッとするが、一応道を見渡す。
「…なんだ?」
「朝になると掃除屋が来るです。道に何か落ちているとゴミであれ、人であれ、車であれ、全て処分されるです」
「…………」
 さすがに、声もない。確かに道は綺麗ではあるものの、その言葉を鵜呑みにできるほどお人よしではない。つまり、景観を損ねるから失せろということだろう。と、判断した。
「わかったよ。はいはい」
 いきなり現地人と揉めるのはよくないと思って、立ち上がる。
「…宿があるですか?」
 ガキが不思議そうな顔で尋ねてくる。俺は無視した。
 俺が早足で歩いているのに、ガキは小走りで俺の後に続いてくる。鬱陶しい。
「宿がないと死ぬですよ?」
 しつこい物言いに、俺はガキが言わんとしていることを読み取った。足を止め、ガキに向き直りこれ以上ないほど憎たらしい顔で告げてやる。
「ああそうかい。仮に宿を取るとしても、お前のところは、絶対に、行かねぇ」
 ここまで拒絶の意思を剥きだしにされたら、しつこい客引きも、さすがにこれで諦めるだろう。
 ガキは図星を突かれたのか、口をぱくぱくとさせて言葉も無いようだった。
 その隙に俺はさっさと歩き出す。さすがに、ガキはついてこなかった。

 場所を変えて、適当なところで横になる。掃除屋云々は別としても、確かに道は綺麗だった。俺の故郷じゃ、ここまで綺麗な道なんぞ公道でもありえない。
 明日はまず流れ者が多く居る採掘所辺りにでも行こうと思う。ある程度は金を稼がないとおちおち行動も起こせない。
 ふと、目が覚める。空はまだ薄暗く、夜明けまで数時間はあるだろう。なぜ目覚めたのかは判らない。特に寒いわけでもない…が、何故かピンとした張り詰めた空気になっている。これは朝の静謐さとは全く異なるものだ。
 さすがに怖くなり、半身を起こした。
 そして悪魔を見る。
 細身のロボットが、背中にあらゆる掃除道具を差し、どしどしと大股に道を歩いてくる。異常なのは、その眼光だった。爛々と紅に輝き、道を隈なく見通してゆく。
 やがて、俺がその視界に入った。
 ロボットはゆっくりとした動作で軽く仰け反ったかと思うと、次の瞬間には数メートルの高さにまで跳躍した。手に持っているのは、モップだ。モップのはずなのに、それはロボットの手で猛烈な回転を加えられ、ドリルにしか見えなくなっている。
「うわわわわっ!?」
 俺は慌てて地面を這い蹲るようにして逃げ出す。
 背後でロボットが着地したのか、地面が抉れる音がした。
 曲がり角が多いのは幸いだった。俺は不慣れな土地を次から次に曲がり、ロボットを撒こうと試みる。
 だが、その考えなしにとにかく曲がっていたのが悪かったのか、やがてロボットと鉢合わせしてしまった。
 ヤバい、と思った次の瞬間に、突如背後から襟首を掴まれて引っ張られる。
 ぎょっとした顔でその主を見ると、昼間に会ったガキで、鼻先に人差し指を当てて黙っていろ、という仕草をする。俺は抵抗せずに従った。
 ロボットがすぐ脇を通り過ぎてゆく。ロボットがある程度行ったところで、ガキは俺の襟を軽く引き、ついてくるように言う。
 そしてその言葉どおりついてゆくと、一軒のボロ家にたどり着いた。導かれて中に入り、見渡してみたところ、これがこいつの家らしい。
「もう、大丈夫ですよ」
「あ…」
 俺はほっと息をつき、その場に腰を下ろす。
「先輩の言葉を聞かない聞かん坊は、死ぬですよ?」
 そいつは得意げな笑顔で言った。
「す…すまねぇ」
 俺が素直に謝ると、そいつは満足そうに頷く。
「お前のこと、儲からねぇ宿屋のウザいガキだと思ってた」
 さらに素直に心境を吐くと、そいつは急に口を尖らせてそっぽを向いた。
「あ…いや、さっきまでで、今は思ってねぇよ。今は感謝してる」
 慌てて言い直すが、そいつは機嫌を直す様子は無い。
「なぁ、おいってば」
「知りませんです」
 そいつはそっぽを向いて聞く耳を持たない。
「いや、ホント、こんな勇敢で見所のあるやつだなんて知らなくてさ」
 もうとにかく機嫌を直してもらおうと、俺はそいつをベタ褒めする。…と、そいつは褒められてうれしいのか、尖った耳をぴくぴくと震わせた。
 それからもう思いつく限りの賛美を並べ立てて、俺の方が値を上げそうになった頃、そいつはようやく機嫌を直した。飛べそうなくらい小刻みに動く耳が、見ていて面白い。
「とりあえず、色々話をして欲しいです。したら、宿は貸してあげるです」
 そいつは言う。俺の身の上話は得るものは何も無いだろうが、ただの話として聞く分には確かになかなか面白い。宿を借りれる、というのはこの上なく有難かったので、俺は快諾し、どこから話そうかと考え始めるのだった。


339 ―39 苦しい

 私は泣きながら穴を掘る。今日も。昨日も、そして明日も。
 枯れぬ涙に感謝すべきなのか、或いは辟易すべきなのか、日々とめどなく流れる涙と共に、父の墓を、母の墓を、兄の墓を、友の墓を、他人の墓を作る。
 振り返れば死に絶えた地にどこまでも墓標の道が続いている。死体は絶えない。列になった死体は薄気味悪さを通り越し、古代の土偶の類なのではないかと思いたくなるような雰囲気を持ち合わせている。昨日は七十三人の中に三日目の父親と七日目の母親を埋葬した。今日は五十四人の中に十七日目の父と兄を埋葬した。
 環状の擬似家族システムの崩壊は相当な年月が必要だったが、まだ見ぬ未来であったはずの滅亡の二文字はあっけないほどに早かった。システム崩壊と同時に惑星マザーシステムが負荷から狂い、それが調整中で隔離シールドを施されていなかった軍部に派生、マザーシステムに共鳴した軍部のシステムがありったけの火力の対惑星武力で以って、住民の虐殺戦を始めたのだ。こちら側がつかえる火力は対人のちっぽけなものだけだった。マザーシステムはみるみるうちに自然を刈り取って荒野に変え、地表を焼き尽くして生命の根を無に帰した。
 無駄に高度な自分の体が憎い。死骸の断片から、もう無意味となった識別番号までしっかり読み取れてしまうのが、辛い。
 体が残っているならばその一部を。遺物があればそれを。
 地中にそれらを埋め、小さな山を作り、そこからその辺の土を集め、土の情報を操作して縦長の棒状にして固定する。どう見たところで泥の棒以上のなにものでもないのだが、代理になるものなど何もないのだ。残存していたありったけの資源から作ったものは全て穴を掘るシャベルとなった。生き残っていた家族たちが一人一本手に取り、皆別々の方向へ進んでいった。きっと、穴を掘り続けているに違いない。空はもうずっと灰色だが、埋めるべき人が消えたとき、その灰色は去ると信じて。
 私は泣きながら墓を作る。いつまでも。


338 ―38 ショック

 熟れた林檎が腐るまでの、ほんの僅かな時間。
 赤い果実がなっている木に、一人の飢えた少年が歩み寄ってきた。木はその少年を哀れみ、体を振るって一つ実を落とした。それは林檎に似ていて、見ているだけで涎が垂れてくるようなほど、美味しそうな実。名を、知恵の実という。
 少年は知恵の実を食べたが故に全知となり、幼いが故の好奇心から、静かに君臨していた神を喰らい、その座を奪った。
 神として、少年が一番初めにしたことは天地創造
 少年は、大地に生命が生え、栄えゆく様をみていた。地上の主導権をとる生態系が何度か交代し、やがて人間にたどり着く。
 少年は眠たげな瞳で人の発展を見つめていた。人の発展はどこの星でもおおまか似通っていて、どれも戦争の歴史だった。
 少年はある日、戦争の中で生きる生命に、とても澄んだ心の持ち主を見つける。
 少年は、その心に興味を引かれた。何年か経つも、その心に悪しき黒は侵入していない。少年は実に好意を抱き、その心の持ち主の外見を見た。それは戦時下において迫害されている民族の中で暮らす、酷く顔の歪んだ少女だった。その顔だけを見れば少女の心に澄み渡る部分があるのかを疑いたくなるほどで、同じ民族内でもあまり好感をもたれていなかったことは、容易に判った。
 しかし少女にとっては長く、少年にとってはほんの僅かに満たない時間、少女の内面を見つめた少年は、恋に落ちた。
 少年は少女に会うために地上に降りた。そしてそれは騒ぎとなり、少女を神の代理とした宗教が生まれ、少女は祭り上げられる。少年は、少女に会うことは叶わなくなった。
 少女は会いたがり、少年もまた、同じだった。
 そこで少年は木に頼み、知恵の実を一つ分けてもらう。少年は少女にそれを食べさせ、二人で暮らそうと思った。
 少女は少年から届いた贈り物を喜んだ。しかし少女は少年の贈り物を食べずに、大事そうに仕舞ってしまう。その日の夜、少女の側近だった男がその実を持ち出し、食べてしまった。
 男は神になれると喜び、寝ている少女を刺し殺して、少年のいる神の座へと向かう。
 少年は、少女の死を知り、怒り、悲しみ、そして自分の行動を後悔した。
 少年は木の根元にうずくまり、塞ぎ込んでしまう。
 木は少年を励まそうとした。鳥の歌を聞かせ、葉っぱでベッドを作り、知恵の実を与えた。
 しかし少年はそれらに見向きもせずに弱り、死んでしまう。
 木もまた、少年の死を悲しみ、痩せ細っていった。
 やがて男がその木にたどり着く頃には、木は枯れ、知恵の実は全て腐り落ちていた。
 それでも男は神の座まで行き、そこに君臨する。
 だが男が神の座から見通すことができたのは、干上がった大地、人が人の亡骸を食い、荒れ狂う天災が大地を掃討する、地獄の世界だったと言う…。


337 ―37 違う

 ガチャ

「はぁ…。死にたい…」
「…博士」
「ん? 何だ?」
「入ってくるなりいきなり嫌なこと言うのやめてくださいよ。朝から憂鬱になるじゃないですか」
「ああ、そうか…。じゃあ今日も元気に死んでみよっかなっ☆」
「キモいからやめろっ」
「ぐ…う、うぅ…何もぶたなくても…」
「おっさんに朝からそんなことを言われる身になってください」
「心は十代の思春期だぞ」
「刑務所行って下さい」
「酷いな…。いや、実は今やっている研究が…夜中考えていたんだが、打開策が思いつかず完全な暗礁に乗ったようでな…」
「…だからっていきなり死にたいとか言う事ないでしょう」
「袋小路に詰まったときっていうのはえてしてこんなもんだよ。君もそのうちわかるさ」
「判りたくないなあ…。なら博士、フリスクでも食べますか」
「フリスク?」
「あれ、知りません?」
「知らんな。何だ?」
「清涼剤ですよ。気分転換にも最適です。食べたら打開策が閃くかもしれませんよ」
「ふむ…。じゃあひとつ貰おうか」

 パクッ

「いかがです?」
「いや…特に何も変わらんな。申し訳ないが」
「そうですか…。いえ、そんなに都合のいいことばかり起きるわけがないというのは判っています。ただテレビの宣伝では色々と閃きが起きているのでもしかしたら、と」
「いや、いいんだよ。気持ちだけでもありがたいさ。気分転換にはなったしな。今日も頑張るとも。…ん、この鼠、まだ寝てるのか。私でさえ起きたのにけしからん奴だな」
「あ、博士、それは昨日死ん…」
「えい」

 チュー

(お、起き上がった…!? そんな馬鹿な…!)


334 ―34 疲労

 巨人族の第二世代が管理する巨大海洋生態プラントは、その建物のオブジェとして飾られている。理由は、球体であり、なおかつ透き通る青色を見せるために、オブジェとしても凄く見栄えがよいからである。擬似惑星として機能しているそのプラント内では、従来の生物適性を意図的に緩めてあるために、ゆるやかに流れる雲が向こうに見えながらも、その下の大空を悠然と泳ぐイルカやシャチを見ることができる。
 その光景は見ていてものびのびとしていて気持ちがよく、脇の通路を通る人などは多くが少しの間足を止めてその様を眺めていく。
 無味乾燥な通路に囲まれ、人の目に晒されようとも何処吹く風で、いつか憧れたかもしれない大空を泳ぐ。その様は本当に気持ちがよさそうで、誰しもがいいなぁ、と微笑ましい気持ちと共に思うのだった。


333 ―33 眠い

 ゴオオオオ…

「…駄目だ。吹雪で外に出られそうにない」
「ああ、俺、もうねむ…」
「バカっ!」
「うわ、な、何だよいきなり…」
「それは禁句だろ! いいか! 今から禁句を口にしたら吹雪が止むまで起きていなければならない!」
「む…。でもさすがにこのままだとねむ…ヤバいと思うんだが」
「そうだな…。じゃあ、こうしよう。今禁句になった言葉は、我々がここを無事に乗り切ったときに与えられる褒美だ」
「ほう…褒美ね」
「そう、それは王冠なんかよりとても素晴らしい」
「どんな宝石よりも?」
「無論だ。広く、俺らが目にしたこともないような飾りつけがしてある部屋、日当たりがよく淡い日差しが差し込んでいる…」
「おお…聞いているだけでうっとりしてくるな」
「ああ。そしてその部屋の中心には天蓋付きのベッド。枕は最高級の技術者が勝者…我々の頭の形にあわせて作った素晴らしい枕、世界で数百万もの値がつけられる最高級羽毛布団」
「…うう、全身から力が抜けていくようだ…」
「そこに横たわることだけでも世界中が夢見る。どっかの偉い王様にさえその権利は与えられない。ただ…ここを無事に乗り切ったものだけに与えられる特権なんだ」
「なんて素晴らしい…考えるだけでもう…」
「ああ…最高だな…」
「ベッドに沈んで、ジャストフィットの枕に頭を乗せてゆっくり目を…」

 ゴオオオオ…


332 ―32 知らなかった

 この大陸における獣人の歴史は、最後の代までことごとく悲惨だった。
 最初の代が生まれて以降、獣にも人にも迎合されることはなく、敵意の目で見られ、何故だ何故だと叫びながら憤死していった。
 先祖を恨み、人を恨み、獣を恨んだ。人間によって神に救われる対象外であると定義づけられた彼らは、一心に人の悪意を受ける存在となり、邪神の象徴とまでされ、神に対する邪神の像は獣人の姿であった。
 最後の獣人は早くに親を亡くし、人間の都市の郊外にて最低の扱いを受けながら日々細々と暮らす惨めな存在であった。
 その最後の一人には親が言わなかったせいもあり、代々一族が叫び続けてきた呪詛の声は届いていなかった。
 クレガという名の最後の獣人は、その扱いにも関わらず別段不平不満を抱いていなかった。生まれたときから変わらぬ環境に居れば、そんなものだと思ってしまうものだ。長年の獣人の存在で、人間は視線こそ軽蔑にまみれているものの、もうそれは敵意というほどに研ぎ澄まされてはいなかったし、クレガの生来持つ楽天的な性格が辛うじて"平和"と呼べるぎりぎりの部分に保たせていた。

 森の中でクレガは斧と、集めた薪を傍らに置いて息をつく。
 朝から森に来ていて、体内時計では大体昼を少し回った辺りにだと告げている。
 薪を見る。もう量的には十分だ。昼の休憩を入れたらキノコだの山菜だの売ったり食べたりするようなものを探そう。
 手近な場所に枯葉をばら撒いてその上に腰掛ける。森は紅に色付いており、風に揺られる度に数枚の木の葉が舞い落ちる。
 昼は塩のみで味付けした無骨で大きなおにぎりが五つ。水を入れた水筒はクレガの体格からすれば少なすぎるくらいなので、少しばかり節約しながら飲む必要がある。
 三つ目のおにぎりに手を出していると、後ろの方からがさがさと葉を踏む音が聞こえた。自分と同じく薪集めか山菜集めの人間だろうと思い、体を動かして音を鳴らせて自分の存在を知らせる。
 大体こういった人らは狩場が重なることを厭うので、誰かが居ると知れば後から来たものは別の場所に移動し、先客には顔を合わせないのが通例だ。
 しかし。
「…およ?」と、木の陰からクレガを覗き込んでいる女性が居た。年のころは二十代前後。クレガはどこかで見たような顔の気もしたが、そもそもそれほど人間の顔の識別はできないので、それ以上のことは思い出せない。それにその女性は箱庭での純粋培養を裏付けるかのような細身で、どう見たところで山に用があるようなタイプではないことも判る。
 どうせ自分を見れば文句をぶつくさ言いながら去っていくだろうと思っていたので、特に気にしなかった。
「…………」
「…………」
 黙々と四つ目のおにぎりを食べ終える。しかし未だに気配は去らず、物珍しげな視線がクレガの背に刺さっている。
 クレガは怪訝な目で視線を投げると、女性は童のような表情で、好奇心で埋め尽くされた視線を返してくる。
 そして女性が口を開きかけるのと、クレガが獣の声で威嚇するのはほぼ同時だった。
 女性は案の定驚きから「ひゃあ」と小さな悲鳴をあげ、逃げ出してゆく。
 気配が去っていくのを感じ、クレガも安堵する。正直なところ、あんなに見られていたのでは、落ち着けない。
 クレガは追っ払った人間が誰か考えもしなかったし、もし思考の中に答えがあったとしても特に知りたいとは思わなかったに違いない。もしかしたら思い出せたかもしれない相手を、放置したことが大きな分岐となった。
 クレガはこれを発端として獣人で始めて華々しくも痛々しい最期を遂げることになり、以降の歴史でその存在はタブーとされ、獣人の血統と言うものは絶滅するのであった。


331 ―31 危険

「―無理だ。その願いを叶えるのにお前一人の魂では軽すぎるな」
 じゃあどうすればいい?
「願いを変えるしかあるまい。どうしてもその願いがいいというのなら…代償にお前の身近な者の魂も頂くことになるが」
 なるほど、確かに悪魔だ。その選択は実に悪魔らしい。しかし…そうだな。私だけの命では済まないというのなら話は別だ。私は願いを変えよう。
「おやおや。随分素直だな? おれを呼び出すほどまでに追い詰められていたのではないのか?」
 まぁね。でもコトは私だけで済ませたい。
「なるほど、泣かすねぇ。だがそういう考え方ができるのなら、全うに生きていれば天国に行けたかもしれないぞ?」
 知ったこっちゃないさ。いずれにせよ…こうして悪魔と接触を持った時点で手遅れなんじゃあないのかな?
「ククッ…違いない。じゃあどうする? 一人の魂で叶う妥当なところは、特定の誰かを殺す、とかだが…」
 殺す、か…。そういうのは、ないな…。
「まぁゆっくり考えろよ。どうにも久しぶりだしな。正直なこと言うと、今はこっちがどんな感じなんか見てみたくもある」
 そうか。なら少し時間を貰おうか。
「ああ。お前が死ぬ直前までなら待ってやるさ。…お前は自分以外にも誰かの魂を代償に願いを叶えようと考えるようになるのかな? 実に楽しみだ」
 …………。


330 ―30 嫌悪

 火の術士家系での大家、椎野家では当代、二子があった。姉妹である。だが姉の方は信じられないほど術士として無能で、生後適性検査結果を見た家族は大層がっかりしていたが、四年後に妹が生まれ、その妹が姉の分まで適性をもったような精霊に近い、殆ど火の化身と言っていいほど高い能力値を持つと知ると大いに喜んだ。
 ただ、そうなると厄介なのは無駄な食い扶持にすぎない長女ヤトの方である。さすがに母親はそうは思わなかったものの、術士としてさほど高いランクではないため母親に発言権は殆どない。
 長老会議で、椎野家の名誉のためにヤトを廃棄する案まで出た。実質的な殺害、或いは暗殺の類である。だが結局はそもそも力がないわけだし、椎野家も経済的に窮しているわけではなく、跡継ぎにふさわしいのが居るのだから放っておいて構わないだろう、という結論になった。
 だが。その分ヤトは辛い思いを強いられることが決定付けられた。いや、ヤトが生まれた際にされた適性検査の結果が出た時点で辛い思いをすることは決定付けられていたのだが、優れた適性を持つ妹のサトが生まれ、長老会議で「ヤトは不要であるから、居ないものとして扱ってもよい」と無茶な決定がなされたことで悪化しただけである。
 けれどもヤトは、妹を周りと同じように愛していたから苦痛とは思わなかった。この家に生まれて力がない自分が優遇される道理がないと判っていたし、周りの人には蔑んだ目で見られても母だけは妹同様に接してくれていたから、不満はなかった。
 しかし妹のサトはこの処遇を不満に思っていた。姉が蔑ろにされすぎている。周りの人間が姉の前で自分を露骨に褒めるのも耐え難かったし、その場に居てなおもニコニコとしている姉には腹が立った。無論、詰め寄ったことはある。何故そんな自分を遠まわしに貶されて怒らないのか。悔しいとは思わないのか。一発殴ってやればいい。フォローなんぞ自分がいくらでもしてやる。変に我慢されたら傍にいるこっちがイライラする。
 それに対して姉は自分が困ったことを言い出したときにする顔で一言、
「私は大丈夫よ? 別に怒ったりなんかしていないわ」
 サトは激怒した。だがあくまでそれは心の中で、だった。その日からサトも姉をどこか軽蔑したような目で見るようになり、口を利かなくなった。無心に修練に打ち込み、術士としての腕を上げることに専念し始めた。
 事実この時に怒っていたのはサト自身の方で、ヤトの立場と言うものを完全に理解しているわけではなかった、と言うことに気が付くのは大分先のことであった。

 術は精霊を経由して使用することが出来る。そんな概念は初歩であり、術士にとって「手を離せば重力によって物は落ちる」くらいの常識である。しかし精霊という存在については、見たことがあるものは居ない。古い古い本に僅かばかりの記述があるだけで、実在は知られていない。現在では姿を隠して力を貸してくれるなどといった都合の良すぎる解釈が一般的だ。
 さて、ここで古代の文献を一つ読み解いてみよう。現代においては金庫の奥底の方に大事に大事にしまわれて、下手をしたら忘れ去られているかもしれない文献だ。古いもの故に貴重と崇められて金庫にしまわれ、古いもの故に読み解ける者はおらず奥へと押しやられた。その文献には簡単に言うとこう記してある。
「精霊、内ノ大空洞ニ宿リ…」
 つまり、精霊という力そのものを包括するだけの器である。その器に余計な力は極力少ないほうがよく、周りに精霊の力を使う者がいて、精霊が傍にいるという環境を作り出す必要がある。
 そしてヤト本人でさえも、そして周りの誰も、一番傍にいて一番術士として優れていたはずのサトでさえも気づいていない事が一つだけあった。椎野ヤトは術士としては無能であったが、そのキャパシティは恐るべき広大さがあったのだ。現代では「術士であるか否か」が全てであるために、キャパシティなどというものは調べない。そのキャパシティに詰まっている中身がどれほどのものかを見るだけである。赤子から成長した段階で調べればキャパシティまで明確に判るものの、赤子の時点で無能の烙印を押され、それを受容してしまったヤトが再検査などするはずがなかった。
 余計な力がなく、なおかつ広い器。精霊の舞う環境。最重要なものが揃っている。そう、故に椎野ヤトは精霊に守られている。誰一人、それこそ守られている当人にすら気づいていない中で。


329 ―29 まいったな
「このガイシャは争った形跡どころか…何故こんな表情で…」
「警部、どう見てもこの顔はおかしいですよ。毒だとしても死ぬ直前は表情が変わるはずです」
 ガチャ
「警部、容疑者を連れてきました」
「うわああああ。陽子、陽子ぉぉ…!」
「…………」
「警部?」
「…おい、何だこの記録は。"ささやかな誕生日パーティ"とはなんだ」
「はい。容疑者と被害者は恋人関係にあり、その日二人だけで被害者の女性の誕生日パーティを行っていたそうです」
「じゃあ容疑者も何もないだろうが! ささやかなパーティだとぅ…誕生日パーティだとぅ…舐めやがって…」
「うわ、イテテ! 何するんですか!」
「警部、止めてくださいよ警部! 何でそこに怒るんですか!」
「俺なんかその年に誕生日プレゼントなんか貰ったことないぞこの野郎!」
「警部、逆恨みですよ! 関係ないじゃないですか!」
「関係ないわけがあるか! その男が犯人に決まってる!」
「…しかし警部、現場に犯行を裏付ける凶器は何も…」
「凶器! 凶器だと! 凶器はコイツの口だこの野郎!」
「ふぐぐぐぐ!」
「警部、容疑者の口つまんじゃいけません! 警部! 全然理由になってませんし、警部!」
「…君は判っていないな。ならば説明してやる。誕生日に招かれた男は当然プレゼントを持っていたはずだ。何だった?」
「指輪ですね」
「指輪か。…おい、お前はガイシャに結婚だか婚約だかの話を持ちかけるつもりだったのか?」
「え…? え、ええ! そうです! ですから私が彼女を殺したりするわけないじゃないですか! う、うぅ…陽子ぉ…」
「黙れ! …ちなみに、その指輪の状態は?」
「はい。包装を解いたばかりで、指に嵌めてはいませんでした」
「…だろうな。貴様はどうせ、最初はケーキと一緒に少ない語彙であらゆる限りの賛美をガイシャに贈った後、こんな会話をしたに違いない。『今は最高に幸せよ!』『ああ。俺もだ。…それでいよいよプレゼントを』くそ、腹が立ってくるな!」
「警部」
「判ってる。そして貴様は瀕死になっているガイシャに更にトドメを刺したのだろう」
「…………」
「警部、話がつながってませんが…」
「まぁ聞け。ガイシャはプレゼントの前段階で最高に幸せだった。そこにこの結婚指輪だ。ガイシャ周りの人間から、ガイシャは慎ましい人柄だったと聞いている。おそらくガイシャは似合うかどうか考え、それを口にもしただろう。そこでそいつが言ったんだ。『これは君のためにこそ造られたに違いない! 世界中のどんなバラでさえもこの指輪をつけた君の前では萎れてしまう…』」
「警部、宝塚の見すぎです」
「いちいちうるさいな。とにかく、その言葉を聞いてガイシャは限界が来たのだ」
「はぁ…。全くでたらめもいいところで…」
「う、うぅ…。すみません警部さん。そんなつもりはなかったんです、最初は…。あんまりにも喜ぶものだから…つい…」
「…え、えぇ!?」
「…ああ。判っているさ。悪意が少しでもあったならここまでいい顔は出来なかっただろう。おい、連れて行け。丁重にな」
 ガチャ バタン

「一体どういう…」
「まさか、あそこまで聞いて判らないというのか?」
「…褒め殺し、という奴ですか」
「うむ。心底憎らしい…いや、悲しい事件だった…」