思いつきで文章の草稿や断片を書くための場所。

草稿帳200-176

200

 破壊童話と再生神話のもっとも忠実な駒として、ありすは動く。
 華奢な双肩は創造の重荷を背負うのに適していない。
 子供に夢を与える無邪気な童話の主が、大人を魅了する妖艶な淫話の主が築く夢。

 人の一生など本当に意味があるものだったのか?

 無邪気な問いに人格形成の薄幕が剥がされてしまう。築かれた関係が崩壊する。
 奔走する感情についてどれだけ手綱を握れているのか。自分が乗っているものの全容すらも知ってはいない。
 とうに人の造形をすら失った醜い姿が白日の下に晒される。
 夢は、悪夢なのか。
 "forbid"の文字を越えれば、禁じられた物語が開かれる。


199

「おいおい、もう少しオツムを回転させないと腐るぞ」
 俺はそう言うと、羽の生えた幻想的な小人姿で、頭の弱い哀れな主を指した。
「なんですって」
 救い難いほどの愚かな主は俺を掴もうと手を伸ばすが、俺は羽虫へと姿を変えて素早く移動する。火の精である俺を素手で掴もうとはコイツはマジで馬鹿なのか?
「物騒な嬢ちゃんだな、俺を捕まえたって意味無いっての」
 一体こいつは何を考えているのか。白魔術士を探せだと?冗談じゃない!言っていることも見当違いなら内容もぶっ飛んでいやがる。そもそも俺は召使じゃないっていうのに。
「大体だな、何の文献に騙されたかしらんが、契約した精霊っていうのはあまり遠くに行けないし、遠くに行ったら力も薄れるしで踏んだり蹴ったり、おまけに殴られて唾吐かれるようなもんなのでございますよ我が主」
 俺が小馬鹿にしたように言うと、腐りきった頭の主は俺を睨みつけてきた。
「嘘言ってるんじゃないでしょうね」
「おぉ怖い。まさかこの哀れな精霊のわたくしめが嘘などと!嘘をついたとおっしゃる!」
 最近の教育はどうなってんのかねぇ。精霊学の基礎すらも教えてないのか。まさに俺が踏んだり蹴ったりじゃないか。
「馬鹿にしてんの」
「馬鹿になんて!・・・してますとも」
 脳味噌がクラゲ同然な主は見てて愉快なほどに顔を真っ赤に染めた。俺は遠慮なく、むしろ大げさなくらいに笑い転げてやった。
「あんた絶対ぶん殴ってやるわ!」
「火傷しますよご主人様!はーはははっ!」
 難考すると頭がショートする能力をお持ちの主は、さすがに俺に触れようとはしてこない。俺の感情が高ぶって体が赤々としているからだ。見た目で熱そうなのを示してやると触れようとはしてこないらしい。動物と同じだ。
 不意に俺は平静に戻って言ってやる。
「あのな、根源属性が真逆の人間なんて害にしかならねぇぜ?何で探したいのか知らんが、それくらいは自分で努力しろ」
「・・・・・・・・・・・・」
 俺の正論に言葉もなく、回転させるオツムもない主はそのまま俺に背を向けた。
 全く、人間の考えることはいつも判らん。権力と、金と、名声欲しさをいかにもな言葉で飾り立てやがる。
 俺はうんざりしながらこの憂鬱な主の背を追った。一刻も早く主が死んで、解放されることを祈りながら。


198

 包みを開いて、私は目を疑った。私の父はガラス細工を造っていて、例年私の誕生日に、目を見張るような素晴らしいガラス細工を拵えて贈ってくれた。
 私の期待に反して、それは酷いものだった。辛うじて、何を造ろうとしていたのかは判る。おそらく、私が実家で飼っているゴールデンレトリバーであろう。しかし形も歪で、父の作品全般に見られる、細工の心臓部のような秘めた輝きもなかった。私はこれが失敗作であることはすぐに判った。母からのプレゼントはネクタイで、何だか彼女らしくない色であったが、母からのプレゼントも一緒にあるということは、つまり間違い無くこれを送ってきたのだろう。
 しかし私は待った。あれが実は間違いで、生き生きとした愛犬を象った美しき彫像の完成版が送られてくるのを。
 一週間経ってもそれ以来便りはなかった。私は失望した。人気が出て仕事が忙しくなってきた、というのは去年帰省した時父が嬉しそうに語るのを聞いていたが、私はその代償にないがしろにされたように思ったのだ。代わりに、いつもなら感謝の電話を掛けるのだが、今年はそれをしなかった。自分でそんな意地をはっていることさえ、惨めに思えた。
 それからほどなくして、母の誕生日が近づいてきた。
 私は、一つ子供じみた考えに捕われていた。例年両親に使うプレゼントの倍の金額で、父への当てつけのように母に良いものをプレゼントしようと思ったのだ。
 全てが済み、母の誕生日当日の夜、部屋で待っていると電話が掛かってきた。電話の主はもちろん母で、素晴らしいプレゼントを貰った喜びと、私への感謝への気持ちを感動で途切れ途切れになりながら言った。私は答えた。
「いいんだよ、母さん。僕に誕生日プレゼントを送ってくれたとき電話できなくてごめんね。父さんに変わってくれる?」
 私は何か一言二言皮肉を言ってやろうと思っていた。父はすぐに出た。そしてすぐ、 『息子よ、お前は私の想像以上に出来た息子だ』
 と言ったのだ。
 すぐに私は「え?」と聞き返した。
『お前は私たちが誕生日プレゼントを送っても電話をしてこなかっただろう。だからてっきり、あのガラス細工を私が手を抜いて造ったと思い込んで怒っているんじゃないかと思っていたんだ。今年はいつもとは逆に、私がネクタイを贈り、母さんが慣れない手で造ったガラス細工を贈ったことに気付いていないと思っていた』
 私は雷が突き抜けたような衝撃を受けた。そしてすぐに自分がたまらなく恥ずかしくなった。
「あ、あぁ、いいんだよ、父さん。母さんに・・・よろしく言っておいてくれ」
 私は電話を切るとすぐに、自分の陳列棚にすら置かなかった歪なガラス細工を手に取った。
 私は信じられなかった。母は手先が酷く不器用で、火を使う料理はいつも父がしていたほどなのだ。きっと、散々熱い思いをしながらやっと造りあげたのだ。おそらく、これから二度と母が造ることはないだろう。そう思って改めてみると、曇っていたのは私の目で、この酷く歪なガラス細工も悪くないような気がしてきた。これは決して世に出ることは無かったはずの職人が造った、世界でたった一つのガラス細工なのだから。
 今は、陳列棚の一番目立つところに置いてある。


197

「まだ、見つからないのか」
 報告を受けた義足王の二つ名を持つエドガード七世はため息をついた。
「は・・・」
 初老の執事は受けた報告をそのまま伝えただけでそれには全く関与していないのだが、王の悲嘆に同意するような表情を作った。
「もう何年になるか・・・」
 王は憂鬱な顔で、自分が座る玉座に立て掛けた杖を手で弄ぶ。
「お憎うございますか」
「いらぬことを聞くな」
 王の胸中を知る者はいない。もし、いたら仰天するであろう。
 王はその献上された義足を付けているのは義理でもなんでもないのである。ただ、忘れないために。罪など問う気は無い。むしろ自分が問われて然るべきであった。王という国家最大権力を使ってさえ、探し人一人見つけられないという事実に、実に暗い思いを覚えるのであった。


196

 青年は神経の病で療養へ出る途中の列車で、若すぎる淑女と同席した。青年からすれば、絡まれたと言ってもいい。
「では、初めて参られますの?」
「ええ・・・」
「あの場所は何も無いですけれど、良い場所ですわ。確かに、療養などにはうってつけかもしれませんね」
「・・・・・・」
「泊まる場所は決まってますの?」
「一応、親戚が居るらしいので・・・。会ったことは、無いのだけれど」
「そうですか、親戚に。・・・それまでの間、わたくしのような者でご辛抱をお願い致しますわ」
「はぁ・・・」
 青年は何でこの娘はこの若さでこんなにも落ち着き払っているのか、と思う。まだ十代前半がいいところだろう。そしてそれ以上に何故こんなに絡んでくるのか不思議であった。放っておいて欲しい。心からそう思った。
 青年は再びぐらついてきた精神を沈めるために、僅かに震える手で精神安定剤を取り出すと茶で流しこんだ。
「そんなにお薬ばかり飲んで問題ありませんの?先ほどからもう三度も服用なされているようですけれど」
 原因に全く心当たりがないといった表情で、本当に心当たりは無いのであろうが、原因である淑女は首を傾げて青年に話しかける。
「よくはないですが、もういい加減長いので、耐性が」
「副作用などは御座いませんの?」
「副作用・・・?えぇと・・・・・・少々、太りやすくなるようです」
「まぁ、それは怖いですわね」
「・・・・・・そうですね」
 青年の憂鬱な旅は、予定通りならあと一時間と、四十五分。


195

「んー、ふぅ」
 ダークグレーのスーツに身を包んだ奇妙な紳士が葉巻を吸っている。赤いネクタイが全く合っていない。
 奇妙。何処が奇妙かといえば顔である。縦長の顔で、通った鼻筋に形の良い口。長い口髭が一本だけ横に伸び、先端が渦を巻いている。髭以外に毛は無い。そして普通のものの代わりに頭頂部に二つ、猫のような、否、猫そのものの耳がついている。無論掛けている丸眼鏡も普通のではなく、縁が上に伸びて耳に巻きつくようにして掛かっている。
 そして更によく見れば気付くであろう。葉巻を持っている手も形こそ人のそれであるが、短い毛に覆われており、爪も妙に長い。
「それでご用件は何ですかな」
 紳士は目の前のソファーに怯えたように座る青年に声を掛けた。こちらは極普通の青年である。虚弱そうではあるが。
「は、はぁ・・・」
 青年は促されて恐る恐る口を開き、
「おぉっと!!」
 いきなり紳士が大声をあげたので青年はビビって再び口を閉ざした。
「客人に茶を出さねばなりませんでしたな。久々なので忘れておりました。・・・おぉい、客人に茶だ!」
 紳士は一人豪快に笑うと、奥に向かって衝撃破になりそうな声を投げた。
 青年は青年で一刻も早く立ち去りたかったので茶など無用なのであったが、断る勇気も出ずにぼそぼそとわざわざすいませんと呟くのが関の山であった。


194

「あ・・・」
 目が合った。
 僅かに開かれた扉の先では、一人のメイドがまだ湯気の立つ紅茶に口をつけようとしているところだった。僕が思わず声を漏らしてしまったために、手を止めて相変わらずきっつい目で僕の方を見る。
「今は休憩中のはずですが」
 そのメイドは、僕が口を開くより先に言った。
 立花由里という名のメイドは実に厳格である。定められた規律から脱することも無く黙々と自分の仕事に専念する。僕はそんな彼女の姿しか見ていないので、何となく意外な思いがしたのであった。
「そ、そうだね、ごめん」
 謝ったはいいものの、ここで扉を閉めるのは何だか間抜けだなーとか思っているうちに本当にタイミングを逃した。実に間抜けであった。立花が怪訝な顔で僕を見ている。
 どうしよう。
 そもそも仮にもここは立花の部屋であって、いかに主であろうとも入るのは許されていなくて、僕はそもそも悪戯を企んできたのであって、悪いのはそりゃあもう僕なのであって、非常に困って。
「そうだ」
 立花が突如何か思いついたように言う。
 そ、そうだ?何だ?そうだ、日頃の恨みを晴らしてやろう、の略か?
「紅茶、飲みませんか?」
 違った。・・・紅茶?
「う、うん」
 何となくよく判らぬがままに肯くと、立花は手に持っていたカップを置いて立ちあがった。
「少し、お待ち下さい」
 そう言うと立花はきびきびとした足取りで部屋の隅の簡易台所に向かった。腰まで伸びる艶やかな黒髪が足取りに合わせて僅かに揺れる。
 僕は恐る恐る部屋の中に入り、立花が座っていた場所の真向かいに胡座をかいて座った。


193

 高辻雪野は、いわば、天才であった。
 中学に居ながら大検をとって、卒業と共に東京大学に通ったものの、二年で飽きてイギリスに渡りオックスフォード大学に入学、一年半ほど休学を挟んだものの主席で卒業した。各企業からは引く手あまただったものの、全て蹴ってしまった。もはやその頃には何も楽しいことがなくなっていたのだ。ちなみに今は、帰国している。
 友達は見事なほどに居ない。目つきが素で悪く、顎も人より長い。そこまでなら何とでもなったろうが、昔負った火傷で顔半分がただれており、それを隠そうともしないために生理的に気持ちが悪い。人と話すにしても相手に過剰なほど気を使わせる容貌だった。
 何処かでバイトでもしようにもどこも雇いたがらないので、仕方なくインターネットを使って数字相手に株などをしていた。
 これが、儲かった。
 元手がいくらだったかは本人も覚えていないだろうが、現在は数千万単位の金を持っている。しかし変動する数字相手ににらめっこと言うのは恐ろしくつまらない。今は株からも手を引いて、儲けをだらだら食い潰す日を送っていた。
 そんなある日、中学時代から仲の良かった臨時教師が近くに来ているらしく、連絡をとってきて「飲もう」というので、久しぶりに食料の買い溜め以外の目的で外出した。
「よぅ、元気そうだな」
「菊沢先生、・・・お久しぶりです」
 雪野は久しぶりにその臨時教師に会った時、目を疑った。外見がまるで変わっていない。数年前に会った時も思ったが、今では雪野が成人しているだけによりその時間の停滞振りに驚く。中学を出て十年近く経った今ではむしろ、雪野の方が年上に見えるほど菊沢は童顔だった。
「どうした」
「いえ、まるでお変わりなく・・・」
「そんなに造形が変わってたまるか。お前だって中学の時からそのひょろながい面だったろうが」
 雪野は昔から顔のことで軽口を叩かれることに我慢がならなかったが、菊沢の場合逆で、何だか言われると笑いだしたいような愉快な気分になるのだった。
「そういやそうですね」
 雪野は非常に珍しく笑顔で答えると、
「今日は何でこちらの方まで?」
「講演と、大学の方で臨時講師として呼ばれてね。お前は今何してんだ」
「いえ、特に何も・・・」
「無職?」
 身も蓋もなかった。
「まぁ、そうです」
「ふーん。今なら実力重視ンとこ多いからお前なら仕事なんて・・・」
「いや、私が断ったんです。どうも面白く無さそうなんで」
「へぇ、やるねぇ。じゃあ、何だ、つまり暇か」
「そうですね」
 菊沢がその答えを聞くとにやりと笑い、伝法口調で言った。
「じゃあお前あれ、やらねぇか」
「・・・何ですか?」
「孤児院」
「・・・・・・・・・は?」
「孤児院」
 雪野は絶句した。唖然とした顔で菊沢を見る。
「先生、何で私が孤児院を・・・」
「暇なんだろ」
「そ、そうですけど・・・大体土地も院の建築費も・・・」
「それはある。ウチの縁戚で開いてるのがいるから、手伝い」
「て、手伝い」
「もう婆さんでなぁ。むっちゃくちゃ馬鹿みてぇに良い人なんだけど、あたしが顔出すたんびにこれからここがどうなるかと思うと死ぬに死ねないとか抜かしやがるんでなぁ」
「はあ」
「どうだ」
「しかし私の顔じゃ子供になつかれませんよ」
 雪野はそう言うと、ただれた顔の半分を撫でた。
「それは婆さんに聞かないと判らんな」
 菊沢は首を傾げた。そこで雪野はふと考える。子供どころか同年代、年配にすら好かれない自分の顔だが、目の前のこの人物は最初から気にした様子を見せなかった。その人の縁戚。それなら、或いは。
「なら一度会うだけ会ってみましょうか」
「お、そうか。気が乗ったか。じゃあ行こう。今から行こう」
「えぇ!?今から・・・って、ちょっと!」
 雪野は菊沢に引きずられるようにして歩いてゆく。そういえば中学時代、何度かこの人のこういうペースに巻きこまれていた気がする。何だか・・・懐かしい臭いがした。


192

 おじさんはちらっとぼくを見て言った。
「馬鹿だな。本当にノストラダムスの予言が外れたと思っているのか」
「?だっておじさん、もうとっくに二千年は過ぎてるのに皆生きてるやないの」
 確かに、今、世界は物騒だ。色々戦争とかしている。しかし、それで世界が滅ぶのかと聞かれると、ちょっと疑わしい。今起こっている戦争が発展して、核戦争にでもなるのだろうか。
「まさか核戦争でも起こるのだとか思っているのではあるまいな」
 ぼくは心を読まれたのかと思い、ぎくっとする。おじさんはそんなぼくの様子を見て苦笑した。
「そういう意味ではさすがに滅んだりせんだろうよ」
「どゆこと?」
「さすがに一国家が、そこらの馬鹿ガキのように激情に走って核を持ちだしたりはしないということさ」
 ぼくは本気でおじさんの言いたいことが判らなかった。
「じゃあ何で滅ぶの」
「生物はな、遺伝子に種を絶やさんよう・・・つまり、子を残して死んでゆく」
 それは生活科の授業で先生もついこの間言っていた。寝起きの頭でぼんやり聞いたのを覚えている。
「二千年を境に、それが百八十度反転していたとしたらどうなると思う」
「反転?・・・子供を残さないようになっと?」
「そうだ。最近の独身男女、それに子を虐待する親がどれだけ増化しているか知っているか。それが全て自分の意思で独身で居たいと思ったり、子を虐げたいと思ったりしていると思うか」
 おじさんの言いたい事がうすうす判ってきた。なんだか、これは、すごく・・・。
「じゃあ・・・それが続くと・・・」
「人間という種は内輪で勝手に滅ぶのさ。かくしてノストラダムスは壮大な地下計画を当てたことになる」
「でも、でもおじさんは確か娘さんが居るんやないの?」
「居るさ。別に子を残す人間が居なくなったわけじゃない。ゆるやかに減っていく、のさ。恭子は・・・娘は子供どころか結婚もしたくないと思うかもしれん。そうして不自然じゃない程度に出生率が低下してゆくんだ」
 何だかうすら寒いものが背筋を走った。しかし、当然なのかもしれない。テレビでニュースが流れるのをぼんやり眺めていても、破壊か殺人か、そんなニュースがとても多いと思う。それに、テレビで流されるのはほんの一部らしい。こんなに殺し殺され壊す人間が、今になって絶滅に向かうのはシゼンノセツリとかいうやつなのかもしれない。
「そして」
 おじさんは言葉を続けた。
「更に怖いのは、現代人はその事実を平然と受けいれてしまうことだ」


191

 あぁ、この静けさ。この寂しさ。わいわい騒ぐ仲間に置いて行かれたような。
 あの喧騒は暴力的なくらいで。危険をも持つそれさえも、何だかむしょうに楽しくて。
 浮かび上がった泡が弾けるように、

 祭りは、終わった。

 あぁ、この静けさ。この寂しさ。ゆっくりとこの場所で、子供たちが大人になってゆく。


190

 静寂という音が耳に痛い。そんな夜。うっすらと星が見え、はっきりと月が見える。
 影を浮かび上がらせる月夜で、一つの影が動きを紡ぐ。
 少女は睡蓮と言う名で、常に憂いを帯びたような顔をしていた。
 水面を映したように透き通る短い髪を、踊りと共になびかせる。
 祭祀杖の先についた羽根を揺らし、火霊の耳飾りを揺らす。
 睡蓮の踊りは水面をたゆたう葉のように流れ、周囲の風を僅かにざわつかせる。
 水の踊り子は未ださほどの感情を持たない。少なくとも、その達観したような表情の奥には哀しか見えないのだった。


189

 筆名春山毅彦、本名は身内の意向で特に秘す。
 先日悠揚な自殺を遂げた彼の記。
『華々しい死を得るためには、方法だけではいまいち押しが薄い。もう少し、名が知れていることと、人格的意外性が必要であろう。私は実行する。芸無き私は傍にある筆をとることにする。そしてそれが山頂近くに至った時、ある方法で華々しい死を迎えることとなろう』
 彼の一人娘は見つけ、読んで、焼き捨てたらしい。
 その娘は今、(以下空白)


188

 剣をとった村娘は、生来初めて手にしたとは思えないほど巧く剣を扱った。
 累々たる村人の死骸の中で、普段は全くと言っていいほど化粧っ気のなかった村娘は、死化粧とでも言うべきか、顔を薄白く染めたその様が整った顔立ちと相成って恐ろしいほど美しかった。
 後ろで縛られた黒髪が娘の動きに合わせて流れる。服装こそ地味なものの、その美しさは類比するものなく、惹かれるように敵兵が娘を次々と囲んでいた。
 娘は全くひるんだ様子を見せない。確たる目で敵を射て、剣を奮う。
 敵の兵は全くと言っていいほど殺意がない。この、生命を削ることによって描き出された美貌に、遠慮もためらいもない好色な目を送っている。兵達は言葉なくしても思考は一致していた。殺さず、出来れば可能な限り傷もつけずに捕らえ、組み伏せたいのである。
 武器をとった他の村人は皆殺され、村は戦禍に落ちた廃村と化していた。敵兵は憚ることなくそこらの路地で家々から漁ってきたものを広げ、捕虜になった女子供を組み伏せている。
 そんな中でも兵を一人殺すたびに娘の凄惨さは増し、その凄みがより美貌に箔をつけてゆくのであった。


187

 ユーソは大風呂敷で包んだ大量の本を背負い、アパートの大家から借りた台車にも山となるほどの本を積み、近所を一軒一軒売り歩いている。
 しかし古本屋でも開けそうなくらいの品揃えにも関わらず、どの家もユーソの貧相な服装を見ると本を見るのすら難色を示し、売れた本の代金を数えても一食、よくて二食分にしかなりそうになかった。
 ユーソは既にここ二日ほど、僅かな野菜と水だけで食いつないでいた。それに今日背負っている荷物のせいで、少ない体力がより削られている。
 ユーソがふらふらした足取りで来たのは大屋敷の前であった。ユーソは逡巡する。以前も何度か本を売り歩いたが、このさぞ大きな書斎がありそうな大屋敷のみは気が引けてしまい、訪ねることが出来なかったのだ。しかしもしかしたら、という希望を掛けずにはいられなかった。気が引ける引けないの問題ではなく、ユーソは危ない状態にいたのである。
 そうしているうちに、門の内側に人影が現れた。ちょうどユーソの死角に居たらしい。
「何をしているんだい」
 家人だろうか。車椅子にのった少女が居た。
「あ、あの、本を買っていただけないかと思いまして、」
 少女はたいして興味もなさそうに、ユーソの背負う風呂敷と台車を見た。
「重そうだね」
「え、ええ」
 答えるユーソの顎から汗が時折滴り落ちている。
「い、要りませんか?」
「結構売れているのかい?」
「いえ、あまり・・・ようやく一日、二日分くらいの食費になる程度で」
「ふーん。でも家にもたくさん本はあるからね・・・」
 ユーソは目に見えて肩を落とした。
「そうですか・・・失礼しました」
「君、金が入用なのかい」
「え?い、いえ・・・入用というか・・・生活費が無くって・・・」
 ユーソは力無く笑った。
 少女は驚いたような顔をした。
「生活費が無い?」
「はは・・・貧乏なもんで・・・」
「ほぅ、そうかい。本は要らないが、仕事はある。そんなに金に困っているなら明日朝八時に家へおいで」
「ほ、ほんとですかっ!」
 ユーソは興奮して叫んだ。
「力仕事を出来る人が家には居なくてね。なんなら賄いもつけてあげよう」
「あ、ありがとうございますっ!」
 ユーソはもはや狂喜せんばかりに顔を上気させて頭を下げた。
 足取り軽く帰路につくユーソを見て、少女もうそ笑んだ。


186

 蔦の這う安アパートの二階、夕日に顔をなでられて目を覚ます。
 少女はなんとも憂鬱で気だるげな表情で、カーテンの無い窓から外を覗く。
 仕事の時間が近づいてきた。
 少女は益々憂鬱な表情をして、痩せ細り、あばら骨が僅かに浮いている裸体を起こす。掛けているシーツも薄いため、初秋の風が少し寒い。
 視線を室内の方へ巡らせば、そこには打ち捨てられていたのを拾った木の机と、書き掛けの手紙、そしてベッドのすぐ横に運んできた椅子に、コップ一杯の水と三種類の精神安定剤が散らばっている。
 少女は腹立たし気にシーツを払うと、立ちあがった。
 何に怒っているのかは、自分ですらも判ってはいないのであろう。
 不条理な世界か。変わらぬ事のない己の生活サイクルか。或いは秋の薄寒い冷気か。妙な注文ばかりつけてくる変態の客か。
 玉の輿を狙うほどの心意気は持っていないが、それでも何と生き難い世界なのだろうと、実体の見えない何かに恨み言の一つや二つ、吐いてやりたくなるのだった。


185

 信作が起きると、いつから居るのか、暗い室内に人影がぼんやりと浮かび上がっていた。とっさに手さぐりで刀を掴む。
「・・・何者か?」
 よくよく考えてみれば自分は単なる漂流民である。異国の民を匿うのに反対の露人が居たところでおかしくもない、と信作は考える。
「ワ、タシノ・・・ニ・・・ワ・・・ワタシワ・・・」
 信作の誰何に対し、人影はおぼつかない日本語で答える。声は少女のものだった。
 信作は刀は手放さぬようにしながら、そろそろと枕元のランプを付けた。
 部屋に橙の温かい色が満ち、影の領域を押し戻す。
 少女は震える足で、ドアの所に立ちすくんでいた。薄銀の髪と、日本人には決してない透くような目が奇麗な露人の十代の少女であった。
 コートを着ているが実に寒そうで、それもそのはず、コートの下からは生足が伸びている。
「・・・ルマス」
 少女はうつむき、言葉の続きを言った。
「?何と?」
「オ・・・・・・オアイテ、スルマス」
 妙なアクセントと言葉で、やっと言った。
 信作は少女の言わんとすることを格好も手伝ってすぐに理解し、焦った。
「い、いや・・・結構。私には国に妻も居るので・・・」
 信作が答えると、少女も困った顔をした。
「メイレイ・・・ワタシ、サカラウ、ダメ」
 きゅっ、と自然か意図してか胸の前で決意の拳をつくる。
「しかし・・・」
 なおもためらう信作をよそに、少女は静かに近寄ってきて、信作が寝ていた高価そうなベッドにもぐり込む。信作は慌て、ベッドから転がり落ちた。
「モーシワケナイ、デス。ワタシ、コゴエル、デス」
 そう言ってもぐり込んだベッドから顔だけを出し、照れた様子ながらも紫に変色した唇でたどたどしく言葉を紡ぐ。
「そ、そうか・・・」
 実を言うと、信作もコートを与えられて寝る時も着こんでいるが、実に寒い。信作は生まれてこの方これほどの寒さを経験したことがなかった。思わず信作もぶるった。
「コゴエル、デスカ?ワガクニロシア、フユ、トテモ、コゴエル、デス。・・・ドウゾ」
 と言って、少女はベッドに誘うような仕草をした。
「ロシアの冬・・・」
 信作は呟き、しばらく逡巡していたが室内をも取り巻く極寒に耐えかね、少女のベッドにもぐった。
 少女は信作が震える様子がおかしかったか、くすくすと笑い、
「ワタシ、ソーニャ、イウマス。アナタ、ニ、ナマエ、ナニデスカ?」
「私は・・・園内信作という」
「エンナイ、シンサク」
 ソーニャは反復し、信作が肯く。
「キリスト、チガイマス?」
「日本ではキリシタンは禁じられている」
「ソウデスカ・・・」
 ソーニャは残念そうに言った。
「ワガクニロシア、ヲ、キリスト、デス。シカス、ニポンノコウエキ、モトメマス」
「日本との交易・・・それは・・・いい案かもしれんが、私に言ったところで・・・」
「ワガクニロシア、ニポンコトバガコウ、アリマス」
 ソーニャは、信作の言葉に割り込むよう言葉を挟んだ。
「日本言葉・・・日本語学校?」
「オシエル、スクナイ」
「・・・それは私に、そこの、」
「コゴエル、デス」
 ソーニャはそれ以上その話をしようとはしなかった。代わりに、言いながら素足を信作の足に絡ませる。
 あくまでも熱を求めるように。小さく縮こまり、潤んだ目で信作を見つめても。その姿勢は変わらない。
 信作は誘導されるかのように、ソーニャの頬に手を当てた。ソーニャはベッドの中でコートを脱ぐ。冷えた、温もりを求める裸体がそこにあった。
 信作は細いソーニャの体に埋もれていった。
 ソーニャの裸の胸にただ一つ、十字架が掛かっている。
 ソーニャは声も無く、口の端だけで嗤った。


184

「・・・そういうわけだ。悪いな」
 残ったクラスメイト達に言われ、村本は「なにをいやがる」と怒気を噴かんばかりの表情をしたが、それは一瞬だった。
「そうか」
 申し訳無いというよりも、嘲笑の色が強い表情でクラスメイトは教室を去った。
 村本は一人になる。・・・それと、一匹。
「ど、どうするんですか?」
 つうっと弧を描いて妖精が村本の肩に降りた。
「一人でやる。一人二役でやる」
「え・・・」
「念のためにと思って考えていたんだが・・・まさか本当に採用とはなぁ」
「一体どういう・・・?」
 村本は窓際へと歩み寄り、開け放たれた窓から校門を見下ろした。
「ほとんど仮装さ。半分づつ演じる役割の人間の格好をする。・・・とはいえ奇をてらう必要もないだろうから・・・半分づつ色違いのスーツとかかね」
「ははぁ・・・なるほど」
 妖精は心底感心したようであった。
「時間埋めとはいえ・・・学園祭なんだし、やるなら皆でやりたかったんだけどね」
 村本は実に寂しそうに言った。呟いたと言った方が正しいのかもしれない。


183

 見渡す限り草原。遠方を山に囲まれ、僅かな傾斜がある一面には殆ど何も存在しない。草が揺らぐ中、ただ、一軒の家。
 今は全ての景色が夜闇に覆われ、草原にはいくばくかの虫の声が鳴り、山は完全にその雄影を隠しきっている。空に在る無数の星でその姿を浮かび上がらせることができるほど、夜の闇は浅くは無かった。
 そこに在る一軒の家から、少女がゆっくりとした足取りで出てきた。上下が繋がった黒い一枚服に白いエプロン、そして金色の髪を隠す、黒くて大きな帽子。ただ、裸足であった。
 そこには少女一人しか住んでおらぬようで、ランプの灯りも今は家に灯っていない。
 少女は門の階段を降りて地面に立つと、そのまま数歩進んで足を伸ばし、草の上に腰を下ろした。
「なぁ、暇なんだろ。今日も付き合ってくれよ」
 少女は空に向かって、帰ってくることの無い言葉を投げかける。陰気な夜が言葉をも食らっているかのようであった。
「まぁーったく・・・こうも人に会わねぇと・・・言葉を忘れちまいそうだぜ」
 少女は自嘲気味に言う。
「いやしかし、詰まんねぇもんだな、魔女。こうも暇だとは思わなんだ」
 少女は本当に、眼前に話し相手が居るかのように話している。
「狭いコミュニティに居ると「世界は狭い」なぁんて言っちまうもんだけどな。広い。やっぱ広いよ世界」
 少女は気持ちよさそうに言うと、草の上に仰向けに倒れた。
「お前らも実はそんな高い所でちっぽけに見えるクセして・・・実はメチャクチャ離れてるんだってな?」
 少女は黒い帽子を目許まで引き下げ、視界を覆った。
「あたしも・・・何やってんだろうな。本当に」
 星が声を返すことは無い。
 しかし少女は明方に星たちが帰るまで、延々話しつづけるのだった。


182

 小さい背丈でせいいっぱい背伸びしているのを悟られぬよう、めいっぱい上を見てニコリと微笑む。
 砂だらけの幼い頬を見つめ、人目をはばかりまだ小さなその手を繋ぐ。
 シルクよりも立派な砂利道。バージンロードに勝るだろうか。
 幼すぎる衝動は、初恋も友情もごった煮で調理する。
 できた料理はキスの味。


181

「すいません、ぼく、弟に会いに来たんだけれど」
「だめです。官吏さまは忙しいですから」
 門番はちらりとミランの風体を見て言いました。
「弟は会ってくれないかねぇ」
 ミランはなおも言いました。
「申し訳ありません」門番は断固として言うのでした。
 ミランの弟は手紙に招待状も同封していたのですが、字が読めないミランは絢爛な装飾がほどこされたその招待状を、奇麗な絵葉書だと思っていたのです。

 ミランはがくりと肩を落としてとほうにくれてしまいました。
「ああ、こんなことならぼくは弟に会いになんかこなければよかったなあ」
 ミランは呟きましたが、平然とした顔で石畳の街路を歩きつづけました。しかしその実、内心は実につらいのでした。


180

 その場所は、照りつける太陽がより近い。
 やや街の西寄りにそびえる塔は冗談のように高く、塔頂は雲を通るかというほどであった。
 少女はその塔の中腹に居た。薄灰色の髪を風に任せ、塔の内より続く日陰側の塔壁の切れ目に座っており、あと一歩分小さな尻が前に出れば真っ逆さまだというのに平然と健康的な色をした足をぶら付かせている。
 景色はいい。街の大方が見渡せる。延々連なる赤い煉瓦屋根が陽光を浴びる様は、何処となく健康的なイメージを髣髴とさせる。郊外には林があり、それを少し進んだところに位置する、子供達の聖地でもある湖までもが見渡せた。
 街を見下ろしていた少女の蒼い目がふと移る。三色の尾を持つ青い鳥が風の流れに乗って遊びに来ていた。
 鳥は少女の周りを数周すると、少女の差しだした手に降りて羽を休める。少女の顔が少し和らぐ。
 頭に被った帽子についた、塔の守護者の証である白い長羽根が風に揺れた。


179

 薄ぼんやりとした視界。開け放たれてカーテンがはためく窓際に制服を着た女の子らしき人物が座っている。窓枠に肘を突いて、外へと視線をやっている。
 誰だろうか。知った顔・・・なのかもぼんやりとして見えない。昭信は寝起きの意識で考える。
 ぼんやりとしているうちに、ゆっくりと、その人物が動いて身体が昭信の方を向く。
 同時に。その顔が一気に変化したのは昭信にも判った。
「コウ兄さんっ!」
 幼さの残る高めの声で昭信の知らぬ人物の名を呼び、慌てたように顔を近づけてくる。
 “コウ兄さん”?
 自分は右京昭信であって、家族構成の中に妹なんていない。
 昭信は自己確認するが、目の前の人物はそんなことおかまいなしに騒いでいる。
「嘘っ、コウ兄さん、あたし見える!?ねぇ!」
 「みえる」。とりあえずその一言を言うために口を開こうとするが、体が思うように反応しない。昭信は気付く。指一本動かせない。視神経のみが繋がれているような感覚。体が重い、感じがする。感じはあるものの、知覚するには至らない。この感覚はなんなのだろうか。生まれて初めて味わう感覚に昭信は戸惑う。未だ視界もはっきりしない。
 覚えのない妹らしき人物が耳元で騒いでいる。しかしよくは聞こえない。今はただまぶたが重い。
 昭信は再び目を閉じ、眠りに就く。同じ世界の、別の世界と繋がっていることには気がつかずに。


178

 雷鳴色の滝が山岳の谷から流れ落ちている。
 それが一番良く見える山の中腹の岩に座りながら、陽二は黙って見続けている。少なくとも、見渡す限りに人工物は一切見当たらない。あるとすれば陽二が来る時に買った、今はもう空のポテトチップス小袋であるが、これは勿論持って帰る。
 自分達一家が新しく来た田舎は、田舎というものが嫌いな陽二にとって何も嬉しいことはなかったが、ただ、この景色だけは得難いものだと思っていた。
 だから、毎日飽きもせず通っている。
 馴染めず、自分の殻に閉じこもりつつある今この時でさえも、通っている。
 ただ、問題もあった。一人になれないのである。
 今日もひょこんと、一人の少女が下から顔を覗かせて、
「帽子が似あう季節になりましたー」
 陽二を確認すると満面の笑みで言った。麦わら帽子を被っている。
「へぇ」
 陽二はこれ以上ないほど淡白に答えた。何故少女がこの陽二の特等席を知っているのかと言えば、陽二がこの少女に教えてもらったからである。
「冷たいですよっ、おにーさん」
 少女が陽二の反応を見て不満気に言う。
 陽二は嫌そうな顔を少女に向け、
「あのなぁ、僕は別に君のファッションショーを見に毎日ここに来ているわけじゃないんだ」
「それくらい知ってますっ。せっかく超がつくほどの特等席を教えてあげたんですから、ちょっとくらい付き合ってくれてもいいじゃないですか」
 一理あった。陽二は唸り、
「・・・確かに教えてくれたのは感謝してるさ。大体な、何で君は僕にそんなに構うんだ?君もここの学校の連中みたいに興味本位でそうしているなら辞めてくれよ。迷惑なんだ」
「うー、そんな言い方はひどいですっ!人付き合いのいろはを否定されたら元も子もないじゃないですか!人に興味を持たなければ友情も何も成立しないですよっ」
 陽二は首を傾げる。確かに。人付き合いは興味を持ち合うことが大前提なのかもしれない。
「じゃあ」
 陽二は言葉を選んで口を開く。
「好奇心で僕に構っているなら辞めてくれ。何だって君は友達と遊んだりしないんだ?」
 学校で「都会から来た」その一事で珍獣のような扱いを受けるのはもう懲り懲りだった。
「友達・・・をあえて言うならおにーさんくらいですよ?」
 少女の答えに陽二は怪訝そうな顔をし、顎をしゃくって先を促す。
「お勉強が嫌いなんで登校拒否をしてるんです。なので、学校に友達は居ません」
 意外に思う。
 こんな田舎で、という言葉を口にしそうになって陽二は口をつぐむ。どんな田舎であろうと、学校がある以上は別段おかしくも何ともないのだ。田舎だから、という理由で全員同一視する方がおかしいのだ。ということに陽二は今更ながら気付く。
「・・・どうしました?」
 少女は後ろで手を組み、何かを待つかのように立っている。
「いや・・・。そうだ、ほら、座れよ」
 陽二は座っている岩の隣をぺしぺしと叩いた。岩は予想される面積の半分近くが埋まっているにもかかわらず、まだ優に三人くらいが座れるスペースがあった。
「えへへ、じゃあちょいと失礼しますよっと」
 少女は嬉しそうな笑みを浮かべながら岩によじのぼり、ちょこんと腰を掛けた。


177

 平民の格好をした男はひたすら逃げている。
 腰に剣一本弓矢一つすら所持していないところを見ると本当に平民なのかもしれない。
 その割にはシーフの類が好んで使う、カラフルなバンダナが巻かれている。しかし短剣も差していない。つまり、バンダナがあるというところ以外はまるっきり平民なのである。
 その男は何をしたのか、獰猛なモンスターに追われて必死の表情で逃げている。モンスターは怒り狂っている様子で疲労は見えず、男は明らかに速度が落ちてきている。
 そのまま数分と経たぬ内に男はモンスターに後ろから激突されて転げまわった。
「うおぉ死ぬ!殺される!」
 男は武器になるものを探して組み倒されながらも辺りを見た。
 傍にあった拳大の石があったのでとっさに拾おうとして、そのすぐ先に人の足があるのが見えた。
 一瞬時間が止まる。お互いがお互いのことに集中していたせいか、少なくとも先ほどまでは居なかったように思えた。
 モンスターも、男も、呆けたようにその人を見る。
 瞬間、
「えいっ」
 人影はその前に湧き上がった光に遮られ、光が消えたかと思えば無駄にガタイの良い土人形が立っていた。その土人形は同質のハンマーを手にしており、無言でそれを振り被ると、横に薙いだ。
 堂々としすぎた不意討ちの直撃を受けたモンスターが数メートル飛び、たたらを踏んで土人形を睨みつける。
 土人形はまだまだいけるぜと言わんばかりに、ぶんぶんとハンマーを振りまわしており、
「うわっ!あぶねっ!当たるっ!」
 モンスターは暫く土人形を睨んでいたが、やがて背を向けて元の道を駆けていった。  それを確認すると土人形はハンマーを振る手を止め、地に還る。
 荒く息をつく男が命の恩人を見ると、
「大丈夫ですかっ?」
 その恩人は小走りに駆け寄ってきて言った。
 ローブを始めとして殆どが濃緑で統一された服に、何かの木から削り出されたのであろう杖を持ち、服と同じく濃緑の瞳、そして長い金髪を片側でまとめて肩から前に垂らしている。
「た、助かったよ嬢ちゃん」
 そんな外見を見て、男は十人中十人が同じ感想を抱くように娘と見て言った。
「僕は男ですっ!」
 小さな魔術士は怒ったように、両手を腰に当てて言った。威嚇しているつもりらしかった。
「そりゃ悪かった坊っちゃん
「それと!坊っちゃんて齢じゃありません!」
「・・・あー、そうかい?じゃあ・・・少、年・・・」
 男が困ったように言いなおすが、小さな魔術士は益々怒ったようで頬を膨らませた。
「わ・・・かったわかった!兄ちゃん、兄ちゃんな!それでいいだろ!」
 魔術士は不承不承と言った調子で肯き、
「それならまぁいいですけど・・・僕はこれでも二十過ぎなんですからね。確かに若いですけど・・・子供扱いは失礼ですっ!」
「えぇぇ!?二十・・・あ!いや、うん!二十ですとも!」
 実際、その魔術士は十代前半の子供の平均身長くらいしかなかった。
「ハーフなんで成長がヒトより遅いだけですよ。全く馬鹿にしてっ」
 魔術士は自分の尖がった耳を摘まんで、ヒトでないことを主張する。
「あーそうなの・・・。ハーフエルフに知り合い居ないからさ・・・。ま、まぁ助かったよ兄ちゃん」
 男は漸く解放されたかのように立ちあがった。
「いえ、それはいいんですけど・・・。貴方街の人ですよね?何であんなことになってたんですか?」
 男はそれを聞いてちょっと傷ついたような表情になリ、
「ほら、俺これ・・・」
 情けない表情でバンダナを指した。
「服屋さんですか?」
「いや、シーフ・・・」
「あっ」
 魔術士は合点がいったように手を打った。しかし次の瞬間顔を青くして杖を抱きしめ、
「僕の目があるうちは、こっ、この杖は盗めませんよっ!盗めませんからねっ!」
「要らない要らない」
 男はパタパタ手を振って拒否した。魔術士はあからさまに要らないと言われて、ちょっと傷ついた顔をした。
「俺はナチュラルなシーフだから」
「っ!じゃ、じゃあこのローブを・・・!?」
「・・・お前俺のことを何だと・・・」
「・・・で、でも、何でシーフが普通の格好してるんですか?」
「安価いから」
「わお」
「そんなところがナチュラルだろ?」
「それはただ単に貧・・・いえ・・・」
 魔術士は気まずげに視線を逸らした。
「・・・とにかく俺は街に戻るよ。宿に荷物も置きっぱなしだし」
「あ、僕も街までご一緒しても良いですか?」
「ん。じゃあ行くか。荷物そんだけか?」
「はいっ」
 二人は歩き出した。


176

 雪のように白いそれが二本の足だと気付くのに暫く掛かった。
 闇に象るモノが人影だということはそれからすぐ気付いた。横に延びる細い影は大鎌のようなものだと気付くのにはもうしばし掛かった。
 鷹尾が見つめる先に、その人物は身じろぎ一つ せずに直立している。
 夜闇に目が慣れれば慣れるほど見えてくる。
 あれはセーラー服だろうか?違うにしてもどこかの学校の制服であるというのにはまちがいない。と鷹尾は思う。
 あの大鎌は・・・と思うと、漸く影が動いた。
 ゆっくりと、スローのようにゆっくりと、鷹尾の方を振り向く。
 完全に背景に溶け込んだ風に揺らぐ黒髪の合間から、ぞっとするほど寂しげな顔が覗いた・・・と思ったのは一瞬で、鷹尾はすぐに少女の凛とした表情から発せられる眼光がまっすぐ自分へ向けられているのに気がついた。
 鷹尾はその場に足が張りついたような感覚を覚える。
 顔も、眼すらも逸らせない。
 一分にも十分にも一時間にも思えた。少女はふと興味を失ったかのように目を逸らすと、大鎌のようなものを軽く横に振り、向こう側に飛び降りた。